2015年08月08日

タカ(鷹)やハト(鳩)のような本物の「右翼」兼「左翼」人間(動物)でありたい

 あなたは右翼ですか、それとも左翼ですか? タカ派ですか、それともハト派ですか? ところで、以下の写真は、右翼と左翼のバランスが非常によいタカとハトの写真です。

 そういう冗談はさておいて・・・本題に入ります。

(この一見ふざけたようで真剣な冗談は、色んなところで結構使っているのですが、中学・高校・大学生ならまだしも、反政府デモに参加しているような大学院生やいい大人にも、この我ながらナイスなジョークが通じないことが増えているので、空回りして独り笑いしている今日この頃の私です。)

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 今回書くのは、私は普段は自分を「中道・中立」だと思っているし、どんな人間関係でも職場でもブログ執筆時でもそのように言動をしているつもりなのだが、世相を眺めれば眺めるほど、実は私は、「右派」と「左派」の性質を寸分の狂いもなく同じ質量ずつ持つ人間という意味での「中道・中立」、つまり、「右派兼左派としての中道(いわば、プラス値とマイナス値がピタリと一致した、いわゆるプラスマイナスゼロ)」を自負してよい人間なのではないか、と思え、そんなニーチェの『ツァラトゥストラ』並みのナルシシスティックな危険思想かつ健全思想が我ながら好きである、という内容です。

 ともかく、世の中には「右翼」・「右派」や「左翼」・「左派」といった言葉があります。それぞれ、「保守」と「革新」を意味しますが、これは一説には、フランス革命当時の議会において、議長から見た保守派議員の着席位置が右、急進革命派議員の着席位置が左だったことによります。

 しかし、日本では、「右翼」・「右派」・「保守」、「左翼」・「左派」・「革新」のそれぞれの単語は、「過激さの度合い」によって使い分けられ、過激な保守主義者・天皇主義者・軍国主義者・街宣右翼集団などが「右翼」と呼ばれ(やや弱いニュアンスが「右派」)、過激な革新主義者・共産主義者・天皇廃止論者・女尊男卑論者・フェミニズム論者・反原発論者などが「左翼」(やや弱いニュアンスが「左派」)と呼ばれ、「保守」や「革新」は、最も過激性・危険性を排除した場面で使われる傾向にあるかと思います。それぞれ、最も過激な勢力は「極右」・「極左」と呼ばれています。

 また、「タカ派」と「ハト派」については、個人や政党がこれらで呼ばれる場合には、それぞれ「右派」と「左派」を指しますが、同一政党内(例えば自民党内)の各議員や各派閥が派閥抗争の構図などにおいてこれらで呼ばれる場合には、それぞれ外交政策や憲法改正論などにおける「強硬派」と「穏健派」を指すことが多くなっています。

 従って、「右派政党のハト派」も「左派政党のタカ派」も存在します。ただし、自民党一党の派閥構造を見ただけでも、「右派」と「強硬派」、「左派」と「穏健派」とが比較的対応しているということは言えます。

 私は、「極左フェミニスト」や「極左反原発運動家」は「極右」並みの好戦主義者・暴力主義者であって、反戦・反原発主義者であるとは思っていません。電力会社の旧態依然とした体制を打倒し、原発を無能にし、原発関連労働への従事者の新たな雇用を代替エネルギー業界に見出す最良の方法は、電気をバカ食いするデモに参加することではなく、東京電力から頂いている自宅のいらぬ電気をこまめに消しつつ、パソコンの電力は存分に使って、こうして一生涯飽きもせず文筆を継続することであり、それが真の実効的なデモであると信じています。

 ということは、私はデモ参加者どころではない「極左」人間であるということになるはずなのです。事実、最大の暴力は言葉・文筆であって(言葉・文筆は人を生かしも殺しもする)、私はそれをやっているからです。

 さて一方で、三島由紀夫について「右翼」・「極右」だと言う「左翼」・「極左」がいますが、これもおかしな話なのです。

 ここで、三島由紀夫の思想を改めて確認しましょう。せっかくなので、三島が「言葉で」遺した主張の中で、私が最も爽快感を覚えるフレーズを三つ挙げます。

「私にとっては、自民党も共産党も同じもの」
「私は今でも極端な反戦主義者」
「昭和天皇みたいなオッサンが天皇になるくらいなら、美輪明宏のような美少年が天皇になったほうがマシだった」

 私は、最初の二つについては賛同し、最後については三島とは意見が合いません。美輪明宏を美少年とは思いませんし、美輪明宏ではなく昭和天皇が昭和の天皇で本当によかったと思っています。

 昭和天皇は玉音放送で「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と仰せになりましたが、美輪明宏は「我慢できないことは我慢しないことにしたのよ、オホホ」と「オーラの泉」など色々なスピリチュアルの場でおっしゃっていましたね。私の目には、次元が違って見えますが、三島由紀夫にはそこが見えていません。むろん、三島は、スピリチュアル業界と結びついてからの美輪明宏を見ることはありませんでしたけれど。

 それにしても、これらのどこをどう見て、「左翼」は三島を「右翼」と言うのでしょうか。不思議です。どれもこれも、三島がラジオや講演などあちこちで言っていた主張です。三島は、昭和天皇の肉体的脆弱性や口調をバカにしていましたが、全く同じような論理で太宰治のこともバカにしていました。

 前述の「右翼」・「左翼」の定義で言えば、三島よりも、天皇をバカにしたことがない私のほうが真の「右翼」の称号を頂きたいくらいですね。

 ところが世の中では、憲法9条に関しては、9条革新論者が右派、9条保守主義者が左派などと呼ばれています。さすがは、「まあまあ、言葉なんてどうでもよく、なあなあ、あいまいな感じで行きましょう」という日本人気質がよく表れた用語の使用法だと、いつも感心しています。

 しかし、「9条を変えない態度で何でもやってやるぜ、というモノの考え方」が「左翼」であるという世間の考えに合わせるのならば、例えば安倍首相は、改憲論から解釈変更に切り替えたのですから、現在は究極の護憲派であり、ある意味「極左」ですね。

 しかも、言語学・国語学をやっている人なら分かると思いますが、安倍首相は「言葉によって意味されるもの(シニフィエ)は、記号表現たる言葉(シニフィアン)との関係において、それが憲法の条項であれ、恣意的である」と考えていることになりますから、過去の帝国憲法時代の日本の国語学者や憲法学者でさえ持ったことがない国語観で国家運営をやろうとしている点において、非日本的な人間どころか、国語破壊者であると私は思います。

 というわけで私は、「国語」死守という意味において、「安倍首相の非日本的日本語観から日本と日本語を守る運動」を一人で自宅でコソコソとやろうと思っています。

 それから、「街宣右翼」と呼ばれる勢力がありますね。これも、天皇主義・国体護持を掲げながら、衆参両院の議長が奏上し、内閣総理大臣と法務大臣が承認し、天皇が公布し、警察庁が運用する道路交通法にひたすら違反して蛇行・絶叫していますから、実際は不敬の極みであり、反天皇・反体制・極左勢力であると思います。これのどこが「右翼」なのでしょうね。

 最近では、自民党の武藤貴也衆院議員が学生集団SEALDsの行動についてTwitterでツイートした件が、波紋を広げていますね。「彼ら彼女らの主張は“だって戦争に行きたくないじゃん”という自分中心、極端な利己的考えに基づく」とツイートしたようです。

 しかし、自民党・自民党支持者とSEALDsは、これまでにもお互いが全く同じような口調で同じような内容でやり合っているので、何を今さらと思いますし、どっちもどっちだと感じます。「SEALDsは左翼だ!」といった、武藤議員どころではない口調による名指し批判も、すでにTwitterに限らずネット上でありましたし、SEALDsもSEALDsで、自民党に向かって「ボケ!」、「カス!」などと攻撃しています。

 私は、今の自民党も民主党も共産党もSEALDsも親原発も反原発もフェミニズムも好きではありません。嫌いです。それは正直なところ、感情的なものから来る意見でもあるし、自分なりの論理的な帰結でもあります。ただし、日本が、誰かや何かについて好きか嫌いかをはっきり言える言論の自由が認められた国であることだけは誇りです。

 すでに日本が受験戦争、就活戦争、婚活戦争、いじめ戦争などの戦争・内戦をやっていることに気づかないのもどうかと思いますが(私はこれらについて、これらが日本人の戦争のやり方の「表れ」・「表象」だというだけであって、レトリックではなく純粋に社会学的・宗教学的な意味で、これらは諸外国の戦争やイスラム過激派のテロに共時態的に対応する(即、置換できる関係としての)、日本人のリビドーにおける戦争・内戦である、と考える)、やはり自民党の敵は、外国ではなくてSEALDsなどのデモ団体や自国民なのだなと改めて思うところです。

 こうして、日本の色々な勢力を逐一分析していますと、どんどん疲れるばかりと言いますか、どれもこれも同じ顔をした人間集団が、お互いに呼び方が重ならないように自分たちを右翼とか左翼とか保守とかリベラルとか中道左派と言っているだけの社会現象であると私は感じますし、ここまで多種多様な哲学をやったのに、これ以上の何の高尚な哲学書を読めば各勢力の思想の違いが分かるのだと思うと、疑問です。つまりは、最初から何も高尚な思想はないのだと思います。

 私としては、そろそろ挙国一致・大政翼賛運動を開始して、「自民民主公明維新次世代社民共産オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る党」でも立ち上げたらどうかと思っていますが、日本が日本人的に日本だけで、同じ低俗性を異なる高潔性のように名乗って集団で内戦をしている状況なのですから(しかも、戦場はデモ会場だったり、Twitterだったり、婚活会場だったり、そこら辺りのいじめ現場の教室だったり河原だったりするわけで)、そんな中で、陸海空の各自衛隊までもが流行に乗って、露出度の高いいわゆる萌え萌え少女自衛官キャラクターがきゃあきゃあ言っているポスターで自衛官を募集したり国民の士気を上げようとしたところで、「人として両翼のバランスがよく取れた、本物の右翼兼左翼」からすれば、ケンカを売っているのか、ナメているのかと思うはずなのですし、私は、まじめにかつ本気で、感情的かつ論理的に腹が立つのです。

 私は、世相や物事に対するこういう見方・とらえ方をする人間・日本人を「健康・健全な人間・日本人」と言うのだと思っています。

 私も、軍隊のない世界が究極の理想ですが、軍隊自体がそんな作り方をするようなチャチなものであってはいけないと考えます。自衛隊を正規の軍隊にするか否かという以前に、今の日本国政府および自衛隊の精神が真の軍隊を作り上げる気高さを持ち得ていないところに、絶望を覚えます。

 私が今でも信用しているのは、大学時代に研究していたニーチェ哲学の「能動的ニヒリズム」・「永劫回帰」や、井筒俊彦の「言語アラヤ識」や、般若心経や法華経に描かれる宇宙観などだけですし、それらから見れば、自民党も民主党も程度が低いとしか言いようがなく、これらを含めた前述の全ての集団よりも、北一輝・石原莞爾・山本五十六などのほうが数段上級の人格者であり平和主義者だったと私は本気で信じています。

 しかし、最近思うのですが、こういうことはそれこそ一種の霊感・直観で分かるべきものであって、そんなことを感じたことも考えたこともないデモ参加者や政治家にはさっぱり意味が分からないのではないかと感じるわけです。

 つまり、前述の「右翼」集団も「左翼」集団も同じくらい「日本人気質という温泉」に浸かって行動しているにもかかわらず、「そんな俺たち私たち」に気づかないということが、北一輝・石原莞爾・山本五十六などの持っていた世界観・宇宙観から見れば何と低俗なことかということが自明である、ということを私は思うのであり、その意味で後者のほうが「数段上級の人格者であり平和主義者」であると書いたのです。

 こうして考えてくると、どうも私は「それなりに本物の右翼兼左翼としての中道(プラス値とマイナス値がピタリと一致した、いわゆるプラスマイナスゼロ)」の称号を得ることはできそうだと、我ながら思いますし、三島由紀夫はなぜか天皇や太宰治の肉体的・知能的不全を平気でバカにしている点で私よりも不十分な右翼、ニーチェは私と全く同じ心境のドイツ版の人間、ハイデガーは絶対者への認識論への詰めが甘かった点で「守るべきもの」を途中で見失った左翼、北一輝・石原莞爾・山本五十六などは「およそ男が生涯に持ちうる最大限の内面的な優しさから、実務だけを誤ってしまった」東洋的実存としての中道右派兼中道左派、などと、私ならとらえるわけです。

 片や、実はあまり深い思想も思念も知識もないにもかかわらず、見た目上でのカッコよさ、「改憲論や解釈変更や護憲論や親原発論や反原発論やデモなんていうカッコいいものに関係・参加している俺たち私たちを世の人々や国民や友人や恋人や親が見たときのイケてる感じ」を出そうとするときに、お互いに団体の立ち位置や名称が重ならないようにするために、同じ低俗性を異なる高潔性であるかのように、わざとらしく右翼とか左翼とか保守とかリベラルとか中道左派などと呼び分けているだけのものが、今の自民党、民主党、維新の党、社民党、共産党、SEALDs、親原発団体、反原発団体、フェミニズム団体、街宣右翼、宗教団体などだと感じるわけです。

 完璧にバランスの取れた「右翼」と「左翼」という翼を一対ずつ持つ、タカやハト。私は、まじめにタカやハトのような人間(動物)を目指したいと思っています。

 人間は(日本人は)、自分の中に「右翼性」が30あるなら「左翼性」も30なければならず、「右翼性」が50あるなら「左翼性」も50なければならない、というのが私の人間論(日本人論)だなと、最近改めて思います。左右の両翼のバランスが取れていないと、鳥はうまく飛べないのです。

 しかも、そのような「右翼性」と「左翼性」の共存関係は、ヘーゲルの言うようなテーゼとアンチテーゼのアウフヘーベン(止揚)、すなわち矛盾の打破とは、やはり異なるものであり、むしろ、「色即是空」・「有即無」における「色と空」・「有と無」の関係でなければならない、つまり「即然性」がなければならない、と私は思います。

 矛盾というものを感じているうちは、低俗の域にとどまっているのであって、タカやハトの存在論的レベルに達していないと思うのです。


【画像出典】

●タカ亜目(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E4%BA%9C%E7%9B%AE

●ハト目(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E7%9B%AE
posted by 岩崎純一 at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・宗教論