2014年08月08日

佐世保女子高生殺害事件についての私見 ―「人は、人になったヒトである」ことをとらえ損ね続ける日本の「親切な」精神鑑定の現状(2)―

目次
(1)
http://iwasaki-ningengaku.sblo.jp/article/102240125.html
■世論と精神病理学界の苦悩と迷走、皮肉にもまた始まる
■ヒトとそれ以外の動物、生体と死体の区別が付かない既知の精神障害
■類似の事件についての精神医学界・弁護側と検察・司法の見解の齟齬、および発達障害者の犯罪率の低さ

(2)
http://iwasaki-ningengaku.sblo.jp/article/102240150.html
■「我、ヒトに属す」というヒトのプロトアイデンティティ
■日本の精神鑑定の親切さの問題点
■参考文献



(1)から続く
http://iwasaki-ningengaku.sblo.jp/article/102240125.html


■「我、ヒトに属す」というヒトのプロトアイデンティティ

 今西錦司によれば、ヒトに限らず、どの生物・有機体も、「自分がどの種に属するか」を先験的に知っており、このような性質を彼は「プロトアイデンティティ(原帰属性)」と呼んでいる。今西自身や、今西に私淑している私のような彼の愛読者は、先述の問い(「なぜヒトを殺しては駄目で、他の動物は殺してよいのか」、「なぜ猫を殺しては駄目で、魚は殺してもよいのか」)に対しては、まず仮に「殺害対象となり得る各有機体に対する自分自身の殺害行動への忌避感情は、我々ヒト自身のプロトアイデンティティが決定づけているから」と答えることになる。

このブログ内の今西錦司の紹介記事
http://iwasaki-ningengaku.sblo.jp/article/46134491.html

 すなわち、「魚を殺して食べることが平常心で可能であるのに、猫やヒトについては忌避されるという感情や、ある動植物のみを食用としたく感じ他の動植物は食用としたくないと感じる感情は、先験的に我々自身が持っているものであるから、ヒトの教育や政策というものはヒトのプロトアイデンティティに反しないように実施する時に最も正確なものとなる」とするものである。

 ところが、文化や宗教、例えば、ある文化・宗教では牛を殺して食べてよいのに他ではそれは悪行であるとされるような、ヒトという同種間での極端な差異というものは、これだけでは説明できないし、文化や宗教がプロトアイデンティティに先立ってあるのか、後付けのものであるのかについては、今西は見解をはっきりせずにこの世を去った気がしている。

 ここで改めて、私などは和辻哲郎の人間学・倫理学としての風土論などを思い起こすわけで、この場合、「文化や宗教(その土地でいかなるそれらが発祥・展開するか)は、いずれも風土(土壌、咲いている花、生えている木など、かなり生態学的・考古学的かつ即物的な意味でさえある)が決定づける」と考え、かつ「文化や宗教は、ヒトのプロトアイデンティティを侵食してそれら自体がプロトアイデンティティ化するほどに、低次の本能になだれ込んでいる」という見解を取る。

 これによって、「猫やヒトを殺すことは人としてどうかしている」などといった言明が(自然災害を鎮めるための生贄や人柱の風習や戦国時代のような形での親子の殺し合いが過去のものとなった)近代西洋や現代日本でしか通用せず、「鯨を殺す日本人は人としてどうかしている」という強硬な環境保護団体のシーシェパードやグリーンピースなどによる声明が一部の西洋人には通用するが日本では通用しない現状を、説明しようとするわけなので、今西よりも私のほうが、比較文化論的な人間、いや、それ以上に文化心理学的な人間でさえあることは間違いないと思ったものだった。

 また、今西進化論の全体にプロトアイデンティティ論を位置づけて考えてみると、今西のプロトアイデンティティ論は、極めて「離散数理的」であり、「量子論的」なのである。つまり、ある種の有機体Aが、自らを種Aと種Bの間にいるとするアイデンティティを持ったり、種Bと種Cの間にいるとするアイデンティティを持ったりすることはなく、それぞれの種という「飛び飛び」の特異点にアイデンティティが集約されるというのである。

 つまり、今西にとっては、あるヒトが自分を本当はヒトとチンパンジーの間の動物ではないかと迷うような事態は存在しないのである。この点、今西は、自分自身や自分の配偶者が属する動物種が不明になる症状を呈する重度の妄想性の精神障害患者の存在をあまり知らなかったと思われる。

 しかし、いずれにしても、今回の佐世保の事件のようなケースで、今西理論は力を発揮するのではないかと思う。なぜなら、「自らがヒトに属している意識が希薄であるかどうかだけを、刑事責任能力の有無の判断に直結させる」新たな道を開くからである。

 この考え方によれば、精神鑑定で精神障害があると鑑定されても、プロトアイデンティティが確認できる限り、少年法を大幅に改正したり、少年にもそれなりの刑罰を与えたりすることができる可能性が広がるからである。むろん、それは、真性・重度の(しかも殺人事件さえ起こしたことがない)妄想性障害者を守ることにもなる。

 従って、先述の「その同質性を破る性質が本事件に見出せるかどうか」を主眼として今後この事件について私が見ていこうと考えているのは、(とりあえず、文化的・宗教的な差異は横に置き、現代の日本や欧米の非常に高次な人権・動物愛護意識において考えるとすると、)この少女がいったいヒトとしてのプロトアイデンティティが欠落した子であるのかそうでないのか、という点である。

 もし今回の事件を起こした少女に、もしプロトアイデンティティの欠落、つまり本当に「自分がある種の有機体に属し、ある種の有機体を殺してはならず、別のある種の有機体は殺してもよい、ということの分からなさ」に陥っているとすれば、それは先にも挙げたように、すでにいくらでも類似の前例のある真性の精神病理の範疇の問題であり、途端に勧善懲悪の判断が反転して先述の「妻を化け物と見、魚への強度の思いやりを発揮する、極端に涅槃的な善人」と同じになってしまう可能性があるし、それをもって初めて、人は人に対して「刑事責任能力がない(責任を取る必要がない)」と言うべきだと私は思う。

 しかしながら、実際には、「友人の給食に漂白剤を混入→実母の殺害を計画して何とか思いとどまる→猫を殺害・解体→実父の殺害を計画、金属バットで殴打→友人を殺害・解体」という段階を踏んでいる点や、「思いとどまる」力を備えている点が、プロトアイデンティティの欠落は存在しないこと、すなわち、精神科医がテレビ向け、アナウンサー・キャスター・コメンテーター向けに発言したような発達・学習の遅れでもなければ、統合失調症でも大うつ病性障害でもなく、過去の類似事件の少年たちに下された各パーソナリティーの問題であることを物語っているように思う。


■日本の精神鑑定の親切さの問題点

 こうして見てくると、現行の日本の精神鑑定システムや司法システムは、今西理論に照らせば、「プロトアイデンティティがあっても発達の遅れがある者は、おしなべて刑罰を免れることができる」システムになっているがために、「発達障害者の犯罪率(猟奇殺人犯罪率)が定型発達者に比べて高いのではなく(むしろ統計上は有意なまでに低く)、発達障害者の中にも稀に犯罪を犯す者がいる、ということのみである」という意識と、「発達障害者であるか否かにかかわらず、(たとえ発達障害の少年少女であっても、)猟奇殺人を犯した者には刑罰を与える」という意識は、共存しがたい。

 しかも、その原因の一つが、「猟奇殺人の原因を加害少年の生来の発達障害の問題とすることで少年の更生に賭け、少年の人生と少年法の精神を守るという、精神鑑定医の過度の思いやり」から来ているということが、日本独特の問題を浮き彫りにしているように思う。

 これによって、「発達障害者は猟奇殺人を犯しやすいという、うっすらとした世論が誤って形成される一方で、その世論とはさらに別に、精神鑑定医が加害者の責任能力欠如の主張や減刑のために加害者を発達障害認定する」という悪しき風潮が生まれることになる。そもそも、その「加害者は発達障害である」という診断を疑ったほうがよい場合があるとは、悲しいことである。

 私自身は、「過去に少しでも殺人の兆候があったり、殺人を思いとどまるという経験をしている者は、少年であっても、殺人を犯した場合、責任能力を認めて刑罰を科すことができるように法改正すべきである」と考える人間だということになる。その根拠として、精神病理学が展開する発達障害論に見られる、犯人の更生を前提とする進化論ではなく、今西進化論に代表されるような、「我、ヒトに属す。ゆえに我、何を成しうるか」というプロトアイデンティティ論を採りたく思うのである。

 そうである以上、ヒトのプロトアイデンティティに基づいて起こりうることについての勧善懲悪は、原理的に不可能でありつつ法的に可能であることになるので、例えば、被害者遺族による犯人への復讐殺人などは、私は原理的に肯定していながら法的には厳罰主義者でもあり得ることになる。

 もし仮に私が裁判員になったとしたら、この佐世保事件の加害少女に対する対応を考える際には、何らかの被害体験を契機として真にプロトアイデンティティが欠落したがために妄想を妄想と分からなくなった先述の統合失調症者や解離性障害者のためにも、それらの人たちとの落差を付けて考えることになると思う。

「日本でも猟奇殺人事件は起きているが、私の周りでは起きない。(遠い話である。)」
 このような(私も含めた)日本人の基本的な思考法が、この佐世保の事件についてどのような世論を形成していくのか、過去の事例と同様になるのか、注目したいと思う。


■参考文献

『今西錦司全集 増補版』 今西錦司、講談社、1993-94
 『生物社会の論理』、『人間以前の社会』、『人間社会の形成』、『ダーウィン論』、『主体性の進化論』、『自然学の提唱』、『自然学の展開』
『風土 人間学的考察』 和辻哲郎、岩波文庫、1979
『存在と時間』 ハイデガー、細谷貞雄訳、筑摩書房、1994
平成17年度福島家庭裁判所委員会議事録概要 平成17年5月30日
http://www.courts.go.jp/fukushima/vcms_lf/105203.pdf
平成18年度福島家庭裁判所委員会議事概要 平成18年11月20日
http://www.courts.go.jp/fukushima/vcms_lf/105205.pdf
平成19年度和歌山家庭裁判所委員会議事概要(第1回) 平成19年1月24日
http://www.courts.go.jp/wakayama/vcms_lf/10402009.pdf
京都家庭裁判所委員会議事内容 平成19年11月22日
http://www.courts.go.jp/kyoto/vcms_lf/204007.pdf
富山家庭裁判所委員会(第10回)議事概要 平成19年12月13日
http://www.courts.go.jp/toyama/vcms_lf/104026.pdf
札幌家庭裁判所家庭裁判所委員会(平成22年2月15日開催)議事概要
http://www.courts.go.jp/sapporo/vcms_lf/204013.pdf
平成24年度第2回宇都宮家庭裁判所委員会 議事概要 平成24年12月19日
http://www.courts.go.jp/utsunomiya/vcms_lf/ka20121219.pdf
奈良地方裁判所委員会・奈良家庭裁判所委員会 議事概要平成25年9月27日
http://www.courts.go.jp/nara/vcms_lf/250927gijigaiyou.pdf
「裁判員経験者の意見交換会」議事要録 平成25年11月22日
http://www.courts.go.jp/shizuoka/vcms_lf/251122ikenkoukankai-gijiroku.pdf
山口家庭裁判所委員会議事録概要 平成26年3月3日
http://www.courts.go.jp/yamaguchi/vcms_lf/260303.pdf
International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems 10th Revision (ICD-10) Version for 2010 (Online Version)". Apps.who.int. Retrieved on 2013-04-16.
WHO (2010) ICD-10: Clinical descriptions and diagnostic guidelines: Disorders of adult personality and behavior
American Psychiatric Association (2000). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (4th ed., text revision). Washington, DC: American Psychiatric Publishing.
American Psychiatric Association (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (5th ed.). Arlington, VA: American Psychiatric Publishing.
"Intellectual developmental disorders: towards a new name, definition and framework for "mental retardation/intellectual disability" in ICD-11". World Psychiatry 3 (10): 175-180. October 2011.
『ICD-10 精神および行動の障害−臨床記述と診断ガイドライン(新訂版)』 監訳:融道男/中根允文/小見山実/岡崎祐士/大久保善朗、医学書院、2005年11月
『DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引・新訂版』 訳:高橋三郎/大野裕/染矢俊幸、医学書院、2003年8月
posted by 岩崎純一 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神疾患関連の文章
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