2015年04月13日

日本が現地に残した文化やインフラを大切にするパラオ・太平洋の人々から日本人の私が学びたいこと

800px-Flag_of_Palau.svg.png 天皇・皇后両陛下がパラオを訪問されたことにちなんで、戦後の日本や太平洋の文化について、個人としても日本人としても色々と考えました。
(右はパラオ国旗)

 パラオは今でも大変な親日国・親皇室国ですが、今回の天皇・皇后両陛下のご訪問についても、現地の政府高官・警察官から一般市民・子供たちまでもが、事前に日の丸掲揚や『君が代』・『仰げば尊し』・『蛍の光』斉唱を練習したり、日本が援助した道路・橋・電気・水道などのインフラを徹底的に清掃したりなど、驚くほど歓迎されている様子でした。

『蛍の光』は、元のスコットランド民謡のメロディーに稲垣千穎が日本語詩を付けたものです。戦前には、NHK連続テレビ小説「マッサン」でエリーが歌っていたようにスコットランド英語と日本語の両方で歌われ、戦時中には、敵国のメロディーだからという理由で学校の卒業式では歌われなかったにもかかわらず、帝国海軍では歌われ、それが戦後には、パラオの人々が日本語で継承し、日本人・皇室を迎えるために歌い、一方で日本の学校の卒業式では、盛り上がれない歌だからという理由でどんどん斉唱が廃止され、代わりにJ-POPを歌って踊っているわけです。「いったい何なんだ、これは」としか言いようがない皮肉な気分です。

 天皇・皇后両陛下がパラオを訪問されたことについて、右派団体から左派団体(特に反戦・反原発・フェミニズム団体・NPO団体)まで、様々な意見があるようですが、両陛下のご意向としては、そういった政治的問題から超然として「全ての戦死者を悼み、平和を願う」以外の何物でもないと思います。そこから学ぶべきことは多いと私自身は感じています。

 それにしても、やはりご訪問先としては、あくまでも「無難な」ペリリュー島の慰霊碑などの場所だけで終わってしまうのは仕方がないと思います。結局、もう二度と日本の天皇・皇后両陛下が訪れることのない「正当な歴史から排除されたアウトサイドな」場所というのもあるわけです。それは、皇室さえも(天皇が政治的発言をすることが許されない象徴天皇制のために)もう触れることのできない「歴史の間隙」なのだと思います。

「日本のマスコミも宮内庁も腫れ物として触れようとしないもの」というのが、あるはずだと私は思います。そこをえぐらないと面白くない気分です。

The_Headquarters_of_the_South_Pacific_Mandate.JPG 日本の南洋庁による委任統治からアメリカの信託統治に移行して以降、現在まで、パラオを日本領に入れてほしいと願っているパラオ国民は少なくありませんが、立派に独立国として対等な関係を築けた以上、今になって日本編入が良いとは限りませんし、あえて日本に入る必要はないと思います。
(右は南洋庁庁舎)

 それよりも、朝日新聞の「従軍慰安婦」捏造問題と同じく、昭和天皇や軍部を中心とする韓国・中国・グアム・サイパン・パラオ人女性たちに対する組織的な性奴隷化の国策があったと考える日本国内のフェミニズム団体などの発言力の現状を考えれば、パラオ国民の悲願は今後も日本国内で表立って報道されることは少なく、私のように個人レベルで「無思想・中立の事実」だけを知りたい日本人が、自分で海外の裏ニュースサイトで知って、パラオ国民と日本の戦死者の双方に個人的に心の中だけで感謝を示していく以外に方法はないだろうと考えています。

 私個人の感想ですが、「感覚的に」戦争の悲惨さやパラオの歴史・現状を直視できているのは、日本のマスコミでも右派・左派団体でも親原発・反原発団体でも反戦・フェミニズム・NPO団体でもなく、やはり天皇・皇后両陛下と、一部の知的洞察力と感覚的鋭敏さを持つ国民のみではないかという感慨があります。

Establishment_of_Nan'yo_Shrine_01.jpg パラオの戦前・戦中・戦後の歴史や現状については、私自身は、かつて戦前・戦中に日本が創建したパラオの各神社(ペリリュー神社、アンガウル神社、南洋神社、朝日神社など)の巫女さんの子・孫・ひ孫に当たるパラオの巫女さんたちを訪ね続けている日本の神社の巫女さんたちを通じた、文芸(和歌)や工芸の事情くらいしか知識がなく、政治的なことは分かりません。単に和歌をやっているというだけの薄いつながりで、「友人の友人から聞きました」程度の「また聞き」の知識が多いです。
(右は南洋神社の1940年の鎮座祭)

(ちなみに、私が個人的に数名のご協力を頂いて作成している「旧派歌道・歌学の流派・家元・団体の総覧」の「海外歌壇の形成」の部には、パラオをはじめ、琉球、台湾、朝鮮、中国、満州、サイパン、樺太の和歌の実状を追って掲載しています。何か情報をお持ちの方は、ぜひご連絡いただければ幸いです。)
「旧派歌道・歌学の流派・家元・団体の総覧」
http://iwasakijunichi.net/ronbun_ippan/kado.htm

 先述の神社は、アメリカの信託統治への移行後にほとんどが廃社となり、それらの廃墟・残骸や、かろうじて息をひそめて生き延びた小神社は、現在は現地の神官・巫女さん・有志の市民と日本からの有志の巫女さんたちによって管理されています。

 南洋神社など、再建された大神社もありますが、規模的には以前よりもずっと小規模なものです。それに、日本からの有志の巫女さんと言っても、旧社格制度における下級神社の、現在は国や自治体や神社庁や神社関係の単立宗教法人から見向きもされない小神社の巫女さんばかりです。南洋神社を官幣大社に列するなどかつてのパラオの神社に対する日本の厚遇があった時代とは、天と地の差がある状況です。

 敗戦後に日本の自民党政府もGHQも(まるで西洋文化に対する東洋文化の敗北であるかのように)放置した神社をパラオの巫女と市民が愛したという事実を、日本のマスコミが表立って報道することはないと思います。このほか、サイパン島、テニアン島、ロタ島、ヤップ島などにも神社がありましたが、基本的には残骸程度のものが残っているか、ちょっとした歌会・歌壇が残っている程度のようです。

 これらの神社は、日本政府とGHQによる無視・放置をチャンスと見た右派団体や指定暴力団が主宰する団体、「日本−パラオ心を結ぶ会」や「南洋交流協会」が再建に関わっていた面があることはありますが、その目的は極めて日本・パラオ間の文化交流を軽視した日本優生思想的なもので、主宰神の天照大神を祀る神聖な宗教施設としての神社(ひいてはパラオの巫女や国民)のあり方ともまた異なっていたがために、神社を管理している現地パラオの巫女や住民の意志ともかなりぶつかって、結局頓挫しているものが多いです。

Koror_in_the_Japanese_Period.JPG むしろ、戦時中に南洋庁は、パラオ文芸・工芸の衰退を阻止するために、現地の村民を集めてきて、文芸品・工芸品を作らせています。例えば、伝統的なトコベイ人形の職人を絶やさないために、コロール島、トビ島、アラカベサン島などから村民を呼んできて作らせていました。

 和歌についても、今では、台湾やサイパン、パラオの歌壇が島から和歌文化が消えないようにと歌人たちが必死になっています。そして、なおかつそれぞれの島々の伝統文化も継承しているのです。
(右は日本の委任統治領時代のコロール)

 1944年のペリリューの戦いでは、日本軍がパラオ住民を事前に強制退避させたために、パラオ住民の死者は0名と言われ、一方で日本兵の死者は1万人を超えましたが、今となっては、島民の生命や文化に対する日本の姿勢と対応はそれでよかったと思います。ここで生き残ったパラオ住民たちの子・孫・ひ孫たちが、先述の日本文化・パラオ文化双方の担い手となっているわけです。

 私は別に三島由紀夫のような作家でも南方熊楠のような民俗学者でもありませんが、こういうことに興味や感慨が湧くかどうかは、個人の「美意識」や「文化意識」、「生き方」そのものが関わると感じています。私などは、日本のマスコミや宮内庁や右派・左派団体の動向とは全く関係のない「下っ端」のところで、日本の巫女さんとパラオの巫女さんとの質素ながらも濃密な交流があると聞くだけで、一種の爽快感を覚えます。

 右派思想と左派思想の両方から最も離れたところに「日本」があると考えたり、そのことを天皇・皇后両陛下の姿勢から学んでいると考える思考の人にとっては、「右派と左派の対立を天皇主義と反天皇主義、日本派と反日本派の対立」ととらえる昨今の思考がどうしても低俗に思えてなりません。

 天皇・皇后両陛下にとって、パラオご訪問は「悲願のライフワーク」でしたが、もしその中に政治的問題から超然とした、平和的な宗教施設としての神社や心の交流としての文芸文化の継承といった点が含まれていたなら、やはり個人的には、日本の多くのマスコミや右派・左派団体よりも天皇・皇后両陛下の「日本観・戦争観」のほうが清く正しいと思うばかりです。

 また、パラオの人たちが日本が援助した交通網やインフラを守ろうとしたり、日本が残してきた神社や文芸を守ろうとしたりしているところに、何らかの「思想」を持って手を出そうとするならば、それが右派団体であれ左派団体であれ、かつてのパラオ在住日本人や南洋庁とパラオ原住民との絆の歴史を邪魔するものでしかないと思います。


【参考文献・画像出典】

●『官幣大社南洋神社御鎮座祭記念写真帖』(海外神社(跡地)に関するデータベース 神奈川大学非文字資料研究センター)
(パブリック・ドメイン)
http://www.himoji.jp/himoji/database/db04/syoseki/004.html

●『南洋群島写真帖―昔のmicronesia』(小菅輝雄、グアム新報社東京支局、1978)

●大坪潤子「南洋群島に神社をたずねて」(『非文字資料研究』第6号、神奈川大学21世紀COEプログラム研究推進会議、2004年12月)

●冨井正憲、中島三千男、大坪潤子、サイモン・ジョン「旧南洋群島の神社跡地調査報告」(神奈川大学21世紀COEプログラム研究推進会議『年報 人類文化研究のための非文字資料の体系化』第2号、2005年3月)

●中島三千男、津田良樹、冨井正憲「『海外神社』跡地に見る景観の変容とその要因」(神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」研究成果報告書『環境に刻印された人間活動および災害の痕跡解読』、神奈川大学21世紀COEプログラム研究推進会議、2007年12月)


【関連するブログ記事】

●私の和歌人生史、平成日本における伝統和歌の現状(その一)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/50386486.html

●私の和歌人生史、平成日本における伝統和歌の現状(その二)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/50713456.html
posted by 岩崎純一 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・宗教論
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/119155616

この記事へのトラックバック