2015年04月26日

我々人間はどんな時に自殺するのか(萩原流行さんの「うつ病自殺」説と妻の言動への不審を示す国民の反応を例に)

目次
■萩原流行さんの事故死に関するネット上の反応
■「うつ病」の特徴は「暗い気分」ではない
■我々人間が自殺するときに必要な条件
■自殺と事故死の間にある「未必の故意」による自殺を含むうつ病者の不審死



■萩原流行さんの事故死に関するネット上の反応

 22日に、俳優の萩原流行さんがバイクで走行中に警察車両と接触、転倒して事故死した件について、事故の不可解さと妻・まゆ美さんのなぜか気分爽快な言動に関するネット上の議論が非常に興味深いので、色々と見ていますが、案の定、賛否両論があるようです。

 とりわけ、ご夫妻共にうつ病のご経験がある点が話題となっています。萩原流行さんが、今回に限らず頻繁に事故を起こし、ひき逃げ容疑で書類送検された過去があり、今回も警察車両が車線変更するより前からバイクがふらついていたことから、むしろ普段から意図的に近くを走行中の車両に接近、並走して、自殺のチャンスを狙っていたのではないか、それで人を巻き込んでひき逃げしてしまったことがあるのではないか、と見る人も多いようです。

 簡単に言えば、これらのネットユーザーや視聴者が言いたいのは、いわば「うつ病」者の結末としての「未必の故意」による自殺ではないかということだと思います。

 確かに、もしそうであるなら、ほんの少しのタイミングの違いで加害者にも被害者にもなってきた説明が付きますし、「自殺のチャンスをうかがって、かえって周囲の人を巻き込む行動」は、「うつ病」や「躁うつ病」でしばしば見られるものではあります。

 このほか、萩原さんの反日映画好きや薬物疑惑を報じる週刊誌のネタ記事を拾った議論もあるようです。

 また、夫の死からたったの四日しか経っていないのに、夫人が笑顔で「俳優として死んでよかった」とか「最後に大花火を打ち上げて逝った」などと夫の死を賛美するような不可解な発言をしていることも、議論の白熱化に拍車をかけているようです。

 萩原流行さんのバイクの後続車両の運転手が「火花が散っていた」と証言していることから、「火花と言おうとして花火と言い間違えたのでは」という杞憂さえありましたが、やはり夫人は「大花火」と笑顔で発言されています。
(ただ、いずれにせよネットユーザーも、警察側の対応への批判と夫人への同情は持っている人が多いようです。)

 これについては、正直なところ私も、夫人は「夫の何らかの行動の異変に勘付いており、死後の今になって気が晴れたのはそのせいかもしれない」などと思った一人ではあります。


■「うつ病」の特徴は「暗い気分」ではない

 私としては、賛否両論があるのはよいと思うのですが、結論から言えば、この賛否両論の原因は、俗語表現としての「うつ(鬱)」と精神病理学用語としてのそれとの齟齬だと思っており、今回のケースは、「日本人らしい性質があまり良くない意味で他人観察において現れた典型例」であると思います。

 特に、「夫婦そろってうつ病なのに、バイクを運転したり、人の死に笑顔でコメントしたりできるのはなぜだろう」という「正しそうで実は誤っている」心配の声が、その齟齬を如実に表していると思います。

 少し難しい言い方をすれば、我々一般のテレビ視聴者やネットユーザーが「悲嘆反応」や「複雑性悲嘆」(※)をどうとらえているかということです。

 まずは、勘違いされても困るので、萩原流行さんの事故が何らかの自殺行動である可能性を探る前に、夫人の言動を例にとって、「うつ病」(最新の精神疾患分類ではほぼ「単極性障害」に相当)がどのようなものであるかを確認しておきます。

 一般に、「私、最近うつだから仕事に行けてないの」とか「あの人と一緒にいるとうつになる」と言うときの「うつ」(俗に言う「マイナス感情」)は、「うつ」ではなく「全般性不安障害」や「ストレス障害」や「身体表現性障害」に近いか、それにさえ当てはまらない軽度の「神経症性障害」であり、かつて「神経症(ノイローゼ)」と呼ばれたものに該当します。(※)

 これらの重症のもののうち、「人前に出たくない」場合は「社交不安障害(SAD)」となり、悲嘆反応を生じさせている心的外傷が高い確実性をもって観察される場合は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」となります。また、悲嘆反応によって自我・自己意識の変容、分断、健忘、遁走、複数化などが起きた場合は、「解離性障害」とされます。(※)

「うつ病」がほぼ最新分類の「単極性障害」と重なる「気分障害」の一種であるのに対し、「全般性不安障害」や「社交不安障害」は「不安障害」圏、「PTSD」や「解離性障害」は「ストレス障害・神経症性障害」圏の症状であって、単に俗語表現として「暗くつらい気持ち」や「動きたくない、外に出たくない心境」を述べているものは、考えられるとしてもこれらのいずれかの極めて軽度のものであり、大抵は「うつ病」・「気分障害」ではありません。

 それがために、「夫婦そろってうつ病なのに、バイクを運転したり、人の死に笑顔でコメントしたりできるのはなぜだろう」という「正しそうで実は誤っている」心配が生じます。日本人らしい心配性、お節介が自分たちの学問理解を誤らせ、誤ったままで他人観察をおこなってしまっている典型例だと感じます。

 この萩原流行さん・まゆ美さん夫妻に「うつ病」を診断した医師は、お二人の「暗い気持ち」や「動きたくない心境」に「うつ病」を診断したのではないと私は考えます。

「うつ病」または「単極性障害」に特徴的なのは、むしろ(不安障害や神経症性障害と重なることがある)「暗い気持ち」の部分ではなく、「平板な感情」の部分です。どういうことかと言うと、「うつ病」者では、「楽しいことを笑わない」のと同じくらい、「悲しいことを泣かない」ケースが頻繁に見られます。

 従って、まゆ美夫人が、夫が花火を打ち上げて死んだと平然と言ってのけた状況は、むしろ、この一女性が強度の「ストレス脆弱性」(※)を持つ「ストレス障害」圏の人物ではなく、「気分障害」圏の人物であると診断した医師の視点が、現時点では誤っていないことを示しているかと思います。

 人の死について涙を流してわんわん泣けるほどの「健全すぎる」状態なら、その人には不安障害やストレス障害を診断するだけで足りるか、精神疾患自体を診断しないことが望ましいと思います。


■我々人間が自殺するときに必要な条件

 唐突ですが、我々一個体としての人間が自殺を遂行するために必要なものは何でしょうか。

 自殺に必要なものは「暗く落ち込んだ気持ち」や「死にたい気持ち」ではありません。これは、精神科医が、うつ病や躁うつ病の患者の自殺を、むしろ患者の気分が明るい時、躁状態の時、軽快・寛解しかけの時に最も心配する根拠でもあります。

 自殺の遂行に必要なものは、現実的には以下のようなものだと言えます。

●外出
 自殺の方法には、首を吊る、橋の欄干やマンションのベランダや窓の手すりを乗り越えて飛び降りる、ホームから電車に飛び込む、割腹するなど、色々ありますが、自宅や職場内の刃物・日用品・薬物などを用いない限り、肉体、とりわけ心肺機能や頭部を破壊・挫滅できるほどの自然落下や重厚な車両の激突が必要になります。
 当然、うつ病や社交不安障害やストレス障害などにより寝込んだままのタイプの人は、これらの方法は使えません。

●体力
 橋の欄干やマンションのベランダの手すりを乗り越えるにも、割腹するにも、それだけの体力が必要です。当然、自殺の成功率・既遂率は体力・腕力のある人ほど高くなります。

●秒単位で死のタイミングをはかる知力と運動能力
 しばしば「人身事故により電車が遅れている」旨の車内アナウンスが流れますが、これには人身事故と自殺が含まれ、後者においては「全身を強く打った」と表現される場合のみ胴体や四肢がレール上でバラバラになっていると「考えられているようです」。
 この言葉遣いの真相は、鉄道事業者によりタブーだったり定義が曖昧だったりしますが、「全身を打った」と「強く」が抜けている場合、生きているか、飛び込むタイミングがずれてホームの客たちに跳ね返ってきているケースも多いです。
 電車の勢いを利用する場合でさえ、一瞬で終わるように秒単位でタイミングをはかることは難しく、高齢になればなるほどその能力は鈍るでしょう。逆に、認知症ではないシャキッとした高齢者のほうがスムーズに自殺を完遂する可能性があるわけです。

●自殺が可能であると信じる心、万能感
 一見すると、自殺者は「何もできない自分」を殺したくて自殺しているかのように見えますが、そもそも少なくとも自殺だけは「できなければ」自殺できません。むしろ、無気力で寝込んでいるようなタイプのうつ病者は、いつまで経っても自殺をせず、かえって万能感にまで達するような気分爽快な躁うつ病者のほうが自殺を既遂にまで持っていくことができるわけです。

●社会との関係性
 一見すると、自殺者は「社会との関係を築けない自分」を殺したくて自殺しているかのように見えますが、特にマンションなどの人工建造物や交通機関を利用して自殺する場合、そこにはすでに社会性が介在するわけです。そうでなくても、特定の死に場所を選択した時点で、社会を気にしていることになります。
 むしろ、本当の自殺(自分だけの力で死ぬ事態)は場所を選ばない自然死以外にありえず、逆に「全ての自殺は社会的である」とも言えると私は思います。

 以上、我々人間は、「死にたい気持ち」があってもこれらの条件のいくつかがそろわなければ自ら死ねませんし、逆に、これらの条件がそろっていればいるほど、「死にたい気持ち」が希薄であっても何かの拍子で自殺を遂行することがあります。


■自殺と事故死の間にある「未必の故意」による自殺を含むうつ病者の不審死

 こう考えてみると、うつ病が軽快しバイク乗りも普通にできるようになっていた萩原流行さんには、確かにこれらの条件がそろっており、実際にひき逃げ歴まであることを考慮すると、むしろ最近は行動的な状態にあり、あながち自殺説が出てきてもおかしくはないと思います。

 ただし、その可能性があるとしても、以上の「うつ病」に関する考察を踏まえれば、一部のネットユーザーが主張するような積極的・計画的な自殺ということはあまり考えられず、あっても「未必の故意」によるものだと私は考えています。

 そもそも、自殺と事故死の間にある「未必の故意」による自殺と言えるうつ病者の死の例は、特に珍しいことではありません。

 一方で、警察車両の動きにもかなり問題があったようです。もし万が一、警察車両の車線変更以前から萩原流行さんのバイクが意図的にふらついて車両に接近していたとしても、やはり警察は、プロらしい安全運転によって「未必の故意」による自殺を頓挫させることはできるわけです。いずれにしても、警察側による事故の責任の揉み消し自体は許されてはならないと思います。

 ただし、もしそれもこれも全ての可能性を含めた上で、まゆ美夫人が夫の死を「大花火」に喩えたのであれば、極めて優れた比喩であることになると思います。もしかしたら、夫人の発言が一番本当なのかもしれません。

 とにもかくにも、うつ病者の自殺の遂行は、先ほども書いたように、症状が軽快・寛解しかけの時に(すなわち、もはや必ずしも「うつ病」ではない時に)自然落下や交通機関などの「他力」を自己との間に介在させて利用し、高い社会性のもとで自然死を否定することによってしか成り立たないわけです。

 私自身は、「人間は、自殺しようともがけばもがくほど、真の自殺たる自然死からは遠ざかるばかりだ」と考えています。その意味で私は、極端な自殺主義者なのかもしれません。

(※)【参考文献】
American Psychiatric Association (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (5th ed.). Arlington, VA: American Psychiatric Publishing.
American Psychiatric Association (2000). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (4th ed., text revision). Washington, DC: American Psychiatric Publishing.
Prigerson H.G. & Jacobs S.C. Traumatic grief as a distinct disorder. Stroebe, M.S., Hansson, R.O. et al ed. Handbook of bereavement research- consequences, coping, and care. pp613-645, Washington DC, 2002
DSM‒5 病名・用語翻訳ガイドライン(公益社団法人日本老年精神医学会)
http://184.73.219.23/rounen/news/dsm-5_guideline.pdf
「悲嘆反応」や「複雑性悲嘆」の解説(独立行政法人 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所)
http://www.ncnp.go.jp/nimh/seijin/www/for-sufferers/shinri_07.html


【関連ブログ記事】

●鬱病が鬱病を疎外する〜「本当の鬱病は美しいもの」〜
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/41932955.html

●なぜ戦後日本人のうち「一部のみ」が「確実に」鬱や社会不適応になるのか -「宗教儀式」としての戦後日本社会、「宗教儀式批判」としての鬱と社会不適応(その一)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/49231797.html

●なぜ戦後日本人のうち「一部のみ」が「確実に」鬱や社会不適応になるのか -「宗教儀式」としての戦後日本社会、「宗教儀式批判」としての鬱と社会不適応(その二)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/49405339.html

●なぜ戦後日本人のうち「一部のみ」が「確実に」鬱や社会不適応になるのか -「宗教儀式」としての戦後日本社会、「宗教儀式批判」としての鬱と社会不適応(その三)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/49662507.html

●なぜ戦後日本人のうち「一部のみ」が「確実に」鬱や社会不適応になるのか -「宗教儀式」としての戦後日本社会、「宗教儀式批判」としての鬱と社会不適応参考模式図
http://www.iwasaki-j.sakura.ne.jp/ronbun_ippan/utsu_to_shokugyo.htm

●高齢化社会、自殺社会、「男女平等」の幻想、女性どうしの心理格差など
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/52023044.html
posted by 岩崎純一 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・宗教論
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/123764977

この記事へのトラックバック