2016年03月19日

違法薬物&暴力団&新宗教

kiken.jpg 日本の危険ドラッグ・指定薬物使用者の裏サイトで「共感覚」の語がはっきりと確認できるようになったのが、2011年。大学・研究機関における共感覚者・共感覚研究者の世界でついに危険ドラッグ・指定薬物使用者に出くわしたのが、2013年。

 私は、刑法犯罪にしても薬物犯罪にしても相当な厳罰主義者であるし、どうやら「人の目を見れば分かる」という直観は人一倍あるらしい。目の利く警察は、車の走りを見ただけでドライバーが薬をやっているかどうかが分かるらしいが、ある人の共感覚が、生得的な身体と感性だけをもって生じた共感覚か、体内で生成されない何物かを摂取して生じた共感覚かくらいは、何となく目と挙動で分かる。

 と言いつつ、今回のショーンK氏の学歴詐称は全く分からなかった私なのであった。佐村河内守のゴーストライター問題の時も、小保方晴子のSTAP論文の時も、やや胡散臭いとは思いつつも、結局は分からなかった。共通しているのは、これらの人々には現実に会ったことがないという点。つまり、体臭とまではいかなくとも、本人の身体から実際に漂ってくる化学物質の微妙な違いなども含めて、私は人の虚構を嗅ぎ取っているということなのだろう。

 それはともかく、覚醒剤使用者と麻薬使用者は、まだ共感覚界では見たことはなく、危険ドラッグ使用者のみだが、こういうものは、時間の問題でバレるか、あるいは、すでに使用者がいながら周囲の人々の洞察力の欠如によりバレていないだけだ。本当にまじめに共感覚を研究したいなら、教員、研究者、学生の浄化が必要だ。共感覚を得たいと思って違法薬物に手を出している人が周りに一人もいないという考えの持ち主がいるとしたら、それは時代と社会を見ていない浅はかな教養から出るものだ。

 時々、「大麻くらいなら、タバコよりも安全だから、やってもいいと思う」という共感覚者もいるし、大麻合法化の支持者も大学レベルの共感覚研究者に結構いるのだが、「生理学的安全性」と「倫理道徳的善」と「合法性」と「日本の思想風土への適合性」とは全て異なっていることに注意すべきである。

 大麻や売春を、欧米、特にアメリカの一部の州やオランダのように、日本でも合法化したとして、日本人が突然欧米人気質になってそれらを運用できるわけがない。

 それに、カント哲学の普遍的律法に裏付けられるべき「善のための善」でさえ、違法薬物や殺人や売春を肯定も否定もできない。法的にアウトであるものは徹底的に法的にアウトであるべきであって、医学的安全性や崇高な倫理的善とは異質であるからこそ、違法薬物に手を出した人物については、例え目上の人物であろうと問答無用で公安・警察に突き出すべきだと私は考えている。

 このあたりは、今回の清原和博被告についても同じことを思った。清原被告のような男は法的・社会的制裁を受け、スポーツ界から永久に追放されるべきだという主義主張と、清原被告(清原少年)の極度に優しく脆い性格や生い立ち・悪運への理解とは、私個人としては全く矛盾していない。

 清原被告の出身校のPL学園は、PL(パーフェクト リバティー)教団が母体だが、清原被告は、パーフェクトなリバティー(「完全なる自由」、「真の自由」)を「覚醒剤の自由な使用」という直球ホームランで実践した点において、「生の哲学」畑の私からすれば、清原被告自身の実存から生じた虚無についての被告のこれまでの超克方法に関心がある。

 無論、虚無の超克方法の能動性・創造性が清原被告には欠如しているとは思うが、カント的律法やベルクソン的「生の飛躍」は、桑田よりもむしろ清原にあるというのが私の考え方で、清原の理性はカント的だが、桑田の理性はあくまでも本能に対するそれだ。現代日本社会において良い評判と高い社会的地位とを獲得できる処世術を持っているのは、後者のほうなのだろう。

 それにしても、怪しい薬を使って自身が仏陀やキリストの再臨であると謳う新宗教団体の教祖たちと違って、清原被告個人の手法は、パーフェクトなリバティーであることだけは間違いない。

 ともかく私は、共感覚それ自体の研究ではなく、共感覚を巡る日本人の動きを観察するべく、日本共感覚関連動向調査会、そして日本共感覚研究会とサークルを運営してきた。ただし、サークルの実状は、調査会の時のままで、ほぼ私のサイトから派生した他の傘下サークルと変わらず、「やはり岩崎さんは、独自路線を貫いて、岩崎サークル群を形成するべき」というご意見の方が多かったので、「日本」という名も大げさかなとは思っている。未だに日本共感覚協会と日本共感覚研究会を間違える人がいるのも、かなり困っている。

 ただし、私は無論、公安・警察でも何でもないから、「岩崎さんみたいなイケてる共感覚を得るには、どうすればいいっすか?」という怪しい問い合わせに、あくまでも私人として目を光らせるばかりだ。とりあえず、私の共感覚はイケてるらしい。しかし、この分野については、清原和博被告やASKAがその道のプロなので、そちらに尋ねてほしいところだ。

 そもそも、覚醒剤と麻薬と危険ドラッグと指定薬物の定義をもっと広げつつ厳格にしなければ、いたちごっこになるだけだ。

 最近は、違法薬物の親友である暴力団の動きも慌しい。とりわけ、山口組と神戸山口組の抗争が目立ってきた。

 私の地元岡山県内の山口組系二次・三次団体は、ほとんどが神戸側に移ったようである。と言っても、以前から岡山の山口組陣(池田組、熊本組など)は反六代目の色が濃かったが、つまりは、山口組の「名古屋化」を嫌っているようである。

「あらゆる違法薬物の現状や暴力団の情勢や新宗教の動向を、他の社会情勢と同様、知識として徹底的に得て、かつ自らはそれらのいずれにも手を出さなければ属しもしない生き方」

 私としては、これが自分の生き方だし、これを最期まで貫徹できた男を「任侠道」を全うした男と言うのだと考えているが、山口組も神戸山口組も、清原和博被告もそうは考えておらず、小学校の通学路のそばで発砲したり車で家に突っ込んだり、覚醒剤に手を出したりしている。世の中には色々な思想・信条や任侠・義侠があるから、致し方がないのである。

 しかし、どこかに真の任侠道・義侠道があるという気がする。


【画像出典】

脱法ドラッグ(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%B3%95%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0
posted by 岩崎純一 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・宗教論
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