2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(1) 序 「巫女神道」とは何か

序 「巫女神道」とは何か
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト内 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
岩崎純一 --- 2013年3月2日

 この記録は、私(岩崎純一)による巫女神道の探訪記録、特に斎の巫女(いつきのみこ)の方々との交流の記録(議論交換ノートのネット用改訂版)です。
 巫女神道と関わるようになった経緯は、これ以降の本文で述べているほか、上記サイトにも簡単に掲載しています。

伏見稲荷大社(京都への一人旅で岩崎が撮影)「巫女神道」という用語をお使いになっている神道関係者、特に神職は少ないと思われますが(巫女は一般に神職ではありません)、巫女の方々ご自身が「皇室神道」や「神社神道」との対比としてお使いになっているケースはよく見ますので、私もこの用語を採用しています。

 これまでに私は、近現代の一般的な神社神道、すなわち、神職男性が神前で祝詞を唱え一定の所作を行う祭祀を中心とする神道の巫女文化も探究してきました。これには、皇室神道、神社本庁所轄の全神社の神道、単立神社の神道、旧国家神道の全部、旧教派神道の一部などが含まれます。

 しかし、ここで扱う巫女神道とは、斎の巫女・神子(斎女)が巫女舞(巫女神楽)によって日本の八百万の神々を自らの体に降ろし宿らせて託宣する(とされる)原始神道、すなわち、中山太郎らの民俗学者が「巫女教」、「女巫の教」などと呼んだ一種のシャーマニズムを指します。

 ただし、上記の神社神道の巫女であっても、神懸りの秘儀など一般国民の日常からかけ離れた生活を継承している巫女は、ここに含めます。現在の巫女の9割以上を占める、社家出身でない一般の女子大学生・女子高校生のアルバイト巫女については、どのような体質や感覚能力を有する場合に事実上の隠れた斎の巫女と認められると考えるべきか、斎の巫女の方々と岩崎が本文中で議論しています。
 一方、神道色を廃し、ニューエイジ系の思想やマインドコントロールの手法を採用した一部の教派神道系教団の儀式を行う巫女は、ここから除きます。
 天皇や公家の私的使用人として、つまり、一般家庭の家政婦と同じ法的なお立場として、皇室神道の巫女を務めている現在の内掌典については、神懸り神事を行っていませんが、その特殊なお立場から、私の私的見解で研究対象に含めます。
 その一方、神宮祭主のように、勅旨=天皇の私的命令などによって戦後に意図的に元女性皇族ばかりが連続で就任しているにすぎない地位の場合、巫女神道の一役職とは言えませんので、ここからは除きます。

 多くの神社神道の祭祀・儀式においては、神職および巫女は、現代の精神病理学・脳神経学上で「転換性障害」、「身体表現性障害」、「憑依障害」、「カタレプシー(強硬症)」、「カタプレキシー(情動脱力発作)」、「共感覚」などと呼称される意識・知覚の変容を全く、またはほとんど伴っていないと考えられますが、斎の巫女の神懸り体験では、これらが激しく伴います。
 ただし、注意すべきは、斎の巫女の神懸り体験は、多くの科学者によって自己催眠現象であると分析され、巫女たち自身もそう自覚している点です。つまり、斎の巫女たちは、半ば随意的に自らこれらに陥ったりこれらから脱したりできる身体技術を身につけています。いわゆるパワハラやセクハラ、犯罪被害などによって神経症性障害(不安障害、PTSD、急性ストレス障害など)や精神障害(鬱病など)に陥った女性の意識混濁や「うわごと」とは、様相が(重なる部分もある一方で、)紙一重のところで異なっています。また、斎の巫女たちの転換性・身体化型のヒステリーは、単に傲慢で凶暴な性格の女性の暴言や暴れ方とは根本的に異なっています。

 私の場合、故郷岡山(日本神話・古代吉備王国時代以来)の秘伝的な巫女神道(特に斎の巫女による祭祀・儀式の最中の知覚・認識・思惟の世界それ自体)への関心が主となっています。
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