2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(4) 巫女の方々への岩崎純一の自己紹介

巫女の方々への岩崎純一の自己紹介
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
(●●社家の斎の巫女の方々に2009年に送ったメールのネット掲載用改訂版)

岩崎純一 --- 2012年9月16日

●●社家の巫女各位

 最近は和歌ばかり詠んでいまして、しばらくここ(【注】:巫女の皆様との対話の場)に登場しておらず、失礼いたしました。日本の神道・巫女文化と日本人の知覚・感覚世界の話をこうしてテキストデータとして残すことは、大変意義深く、私も積極的に参加していきたいと考えております。
 新たな巫女の方もいらっしゃいますので、私が日本全国の神道・巫女文化、とりわけ故郷岡山の古代吉備王国や巫女文化を探るようになった経緯を簡単に書いておきます。

 まずは、共感覚から説明させていただきます。
 私は幼少の頃から、五感が共同・混交する感覚や、人間や動物(あるとき以降は特に女性)の身体や自然現象に対する察知能力(例えば、「空気の色の味を見たり聞いたり触ったりする」というような感覚)、時空間を自由自在に見回し、聞き回り、触って回るような感覚能力が自分にあることに気づいており(具体例は後述)、この感覚を持っていることを直接的な理由に、小・中学校時代にいじめを受けた経験もあります。

 上京した20歳前後に(当時、東大で哲学を学んでいました)インターネット検索で調べている中で、それが脳神経学分野で主に「共感覚」と呼ばれ、欧米ではかなりの研究実績がある分野であることを知ったため、自らの共感覚の記録を開始し、母校や他大学の脳神経学系の学者・研究者に提出し、研究の催促を始めました。今では、私自身が共感覚関連での講義・講演も行っています。
 私の共感覚の記録の一部は、現在でもサイトに掲載しています。例えば、漢字約3000字について私に見える共感覚色を紹介していますが、今でもこれらの共感覚色で漢字を読んでいます。むしろ、「普通に文字を文字として読む」ことができるようになったのが、12・3歳頃でした。

 共感覚という概念は、ネット上で調べていただければいくらでも出てくると思いますが、日本人が最もよく共有している簡単な例を挙げますと、「赤っ恥」や「黄色い声」や「腹黒い」という共感覚表現に代表される感覚がそれです。「恥」はなぜ「赤」なのか、「高い声」はなぜ「黄色い」のか、「心の汚い人物」の腹はなぜ「黒い」のか。恥が赤いのは、恥ずかしい思いをすると顔・頬がヘモグロビンの赤色に染まることに由来しているでしょうし、他言語にも類似のフレーズが多々ありますが、各民族特有の共感覚的なことわざも世界中にあります。

 ところが、科学実験の対象となるような、脳神経学上の真正の共感覚者というのは、「ドレミのレは黄色に聞こえる」、「300ヘルツの音は青緑色の匂いに見える」、「ひらがなの“な”はいじわるな紫色の味だ」といった一見奇異な報告をします。私がそうです。非日常的かつ具体的な言語表現による報告であることが、まず素人の目で相手が共感覚者であるかどうかを判断する際の鍵であるということは、よく言われるところです。
 実際に、これらの共感覚者の脳活動計測をしてみると、一般大多数の人間の脳と異なった五感の機序を持っており、音波を聴いたときに後頭葉(視覚野)が反応したり、電磁波(可視光)を見たときに側頭葉(聴覚野)が反応したりしており、あるいは、視覚野や聴覚野それら自体が後頭葉、側頭葉、その他の部位にまで茫漠と広がっており、強度共感覚者(ほとんどが発達障害者です)の場合、いわゆるペンフィールドの実験(大脳の機能分化を立証する電気刺激実験)が成立しないことさえあります。私はこれを、「知覚の遍在」と呼んでいます。

 そして、現在のところ、9割以上の実験において、共感覚者は女性に多いことが示されており、また、共感覚者は同一・近縁家系に高確率で生まれるため、遺伝する可能性が指摘されています。ただし、現代社会が、特殊感覚を持つ男性が職業などの社会的地位の喪失を恐れてその特殊感覚を研究者に安易に告白しがたい男性社会であるため、共感覚者男性が社会の陰に隠れている可能性があるという説や、共感覚の発現には幼少期の教育・学習環境が影響しているという説も、よく見られます。
 共感覚は現状では、世界保健機関(WHO)のICDに定義されていないことから病理・疾病ではなく、また米国精神医学会(APA)のDSMにも定義されていないことから精神障害・行動障害でもないとされています。

 世界的に最多の、いわば三大共感覚と言える共感覚は、「黒や白の文字に、それらとは別の色が付いて見える」、「音に色が見える」、「数列・カレンダーに一定の形状・空間内配置が見える」というもので、私もこれらの全てを持っています。
 私の共感覚の全貌については、私のサイトやブログを網羅的にご覧いただくのが一番ですが、私はこのほかに、以下のような共感覚や特殊知覚を有しています。


●時空間を自由自在に見回し、聞き回り、触って回るような感覚がある。これは、下記の全ての知覚様態において発揮されます。


●自然災害(特に、地震と台風)の前兆を時々察知できる。

 日本語表現としては、「空気の匂いの変化を見たり聞いたりして分かる」といった表現にならざるを得ないが、実際に調査してみると、地磁気や電離層の変化などに一致している。
 ただし、全てが当たるわけではない。台風については、太平洋上での台風の発生の察知後に衛星画像を見ることで、自分の共感覚の正確さを確認できている。また、地震については、世界中に設置してある地磁気計や電離層のデータ掲載サイトなどで、自分の共感覚の正確さを確認できている。
 つまり、年始に「今年は地震や台風がいくつやって来る」と予言するなどの未来予知はできない。この点、極めて大勢の人から勘違いされる。この点は、アブラハムの一神教の預言者たちの預言能力や、現在の日本の霊能者やスピリチュアル・カウンセラーが保持を主張する未来予知能力と、私の知覚能力との、決定的な違いである。


●人間や動物の生理現象(とりわけ、女性の生理現象)を察知できる。

 これも、様々な女性にご協力いただいて私の共感覚で観察してみた経験があり、最初の十数日間は青紫色だったが次の数日間は赤紫色に変化した、といった共感覚情報を得て身体状況(排卵、月経周期)の判断を行っているため、共感覚の一種と見ることが可能である。このような感覚を、私自身は「対女性共感覚」と名付けている。
 ただし、私の知人である自閉症の成人男性や男児の中に、女性について彼らが見た共感覚色の変化によって明らかに乳ガンの発症を言い当てたと思われる男性・男児がいるが、私はそこまでの能力はない。
 また、よく見られる勘違いとして、「私がいつ結婚できるか、私は死ぬまで幸せか、あなたの共感覚で私を見て占って下さい」といった女性(学生・OL・主婦)からの依頼が来るが、これについても言い当てる予知能力は私にはない。私はただ、女性の身体が発する化学物質や電磁波の変化を動物的に感知しているのみである。


●5 + 8 のような単純な四則演算よりも、534072 × 320598 のような四則演算が色や匂いで解けたり、複数のグラフで囲まれた部分の面積が、本来ならば積分で求めるところを、一瞬目視しただけで回答が「見える」「聞こえる」「匂う」ことで解けたりすることがあった。

 一桁の足し算が難しいのに桁数の多い計算が瞬時にできるということは、「繰り上がり」などの概念とは別の数学大系、公理系、宇宙論の世界で計算しているということである。
(この能力は、10代のうちにほぼ消失。一部の重度の自閉症者やサヴァン症候群の人は、この能力を一生涯持ち続けることで知られる。)
 このような特殊な数学・物理学的能力(自分は「一足飛び計算」や「逆算的達観」と称している)に関しては、大学で哲学にいそしんだ頃にはほとんど消失したが、現在もそのような能力の痕跡と見なすことができる能力は残っている。
 例えば、無限の自然数・偶数よりも無限の実数が多いことを10歳の頃に「匂って」分かった感覚は現在でも続いているほか、数理論理学、超数学、量子論、素粒子物理学が達した結論に「一足飛び」で達することがある。


●これらに関連して、

直観像記憶(映像記憶)
不思議の国のアリス症候群(AIWS)
絶対音感
閃輝暗点と呼ばれる視覚的な前兆(アウラ)を伴う片頭痛
超音波知覚(超音波知覚研究:http://iwasakijunichi.net/choonpa/

など、様々な特殊知覚を有している。
(全部は書ききれないため、サイトをご覧下さい。)


 ご覧いただければお分かりかと思いますが、端的に申しますと、これらは、「私の脳と身体にすでにインプットされている感覚、知識、思考を全く逸脱していない(非科学的・疑似科学的な超能力などという大層なものではない)」ということです。

 超音波知覚について特設サイトを設けている理由は、超音波式のネズミ駆除装置や駐車場の超音波センサーなどの人工超音波が耳や体に極めて不快に感じられるほか、ネズミ駆除装置については効果が疑問視され、政府機関によるメーカーへの処分も下されており、社会問題として取り上げるためです。
 ただし、私にとって、自然音や動物の鳴き声に含まれる超音波については、不快には感じられません。私の可聴音域は、平均的な人間のそれ(20Hz〜15,000Hz。幼児期には20Hz〜20,000Hz、あるいはそれ以上で、徐々に高音域から衰える)に比べれば、およそ20Hz〜40,000Hzと極めて広いですが(胎児や幼児は皆、聴覚だけでもこの音域が聞こえていると私は考えています)、それは「超音波が聞こえる」という聴覚のみの話で、「超音波が見える」、「超音波が匂う」、「超音波の味がする」、「超音波が身にさわる」という私の共感覚で知覚可能な超音波の音域は、10Hz〜80,000Hz(場合によっては100,000Hz=100kHz)であることが分かっています。

 共感覚については、2006年頃から、当時人気だったmixiで共感覚者のコミュニティが作られ、共感覚者オフ会も立ち上げられ、私も大体のグループには一通り参加しました。ただ、現在はこれらのほとんどは、昨今言われるところのいわゆる「女子会」やフェミニズムサークルに姿を変えるなどして、人間の共感覚や外界知覚・認識について議論する場と言えるかといえば、そこからは極めて遠い性質のものとなっています。
 現在、「共感覚」という言葉は、「知覚ビジネス」や「人間工学ビジネス」と言ってよい動きを見せており、オーラ・ビジネス、スピリチュアル・ビジネスと結びついて、虚構の共感覚者を名乗る者も多数登場しているほか、共感覚イノベーション事業に国費が投入されるなどしており、私個人としては、これらに見るべきところはありません。

 そのような流れの中で、私個人は何を試みたかと申しますと、私と同じような知覚・認識様態を有する日本人(や外国人)に出会いたいと渇望し、まずは、いわゆる健常者・定型発達者とは呼ばれない人々、例えば、発達障害(とりわけ自閉症、アスペルガー症候群など)やサヴァン症候群の人たちの能力に私との類似点を見出し、交流してきたわけです。彼らは、一桁の足し算ができないにもかかわらずルービックキューブを簡単に解いたり、ジグソーパズルを驚くべきスピードで完成させたりします。

 私が一冊目の著書で「私は科学者ではないが、私の経験と直観から見るに、共感覚と自閉症の発生機序は似ており、人間の原始感覚を探究するにふさわしいテーマである」旨を書いた際には、相当な反論があったのですが、2013年に「共感覚者には自閉症者が多く、自閉症者には共感覚者が多い」旨の論文がいくつか出て以来、この知見は欧米では共有されつつあります。
 私としては、このような知見は自閉症児の目を見てすぐに達観されるべき事実、本能的な見識で、共感覚や自閉症を研究する日本の大学・学者の「閃き」のなさに実に辟易しており、心底困っていると言ってもよいのですが、このような愚痴は今は本題ではないので、横に置きます。

 そしてさらに、人間の知覚の共時態(同時代に生きる自閉症者、サヴァン症候群の人々など)と同時に関心を持つに至ったのが、人間の知覚の通時態(日本古来の自然信仰、アニミズム的世界観を体得し継承している斎の巫女など)であったわけです。そこで、とりわけ2008年から2011年にかけて、京都を初めとして、大変な勢いで神社仏閣、日本庭園、社家、歌道を訪れる一人旅をして参りました。現在私をめぐって形成されている巫女(特に、地元岡山や、京都、東京)や旧公家・華族の子女の方々、古典・和歌の女流歌人との交流は、この頃に始まったものです。

 私の二冊の著書は、中小規模神社の巫女の間で読まれているほか、一時期は内掌典のご退職者や尼門跡の関連神社の巫女(10〜30歳代)の方々にも読まれるなどして、それは大変光栄なのですが、私にしてみれば、どうしてこの新書形式での私的体験の報告が日本の伝統的家系の子女にばかり偏って読まれているかという不思議な現象への関心から始まったわけです。
 これには、いくつかの幸運が重なっていると考えています。まずは、私の父方の家系は近衛兵、母方の家系は陸軍将校を輩出し、かつどちらも教育者の家系で、むしろ社家の子女・巫女の方々を含む若年者を教育する立場でしたから、岡山では私の家をご存知の斎の巫女の社家があったことです。1946年まで終戦を知らずにフィリピンで戦った、戦死率95%の陸軍歩兵部隊から数名が帰還し、その一人の子孫が私です。

(追記:2016年5月23日)
巫女の方々にご協力いただいて作成した『大日本帝国陸軍 歩兵第10連隊(岡山・鉄5448部隊)戦史調査資料』を、サイトに掲載しております。)
『大日本帝国陸軍 歩兵第10連隊(岡山・鉄5448部隊)戦史調査資料』
http://iwasakijunichi.net/okayama/okayama-hohei10.pdf
郷土(岡山県)研究
http://iwasakijunichi.net/okayama/
(追記終わり)

 当然ながら、これらは天照大神に選ばれし帰還兵などではなく、偶然に米軍の最終攻撃をかわして生き残ったに過ぎない帰還兵たちで、誰がいつ戦死するとも分からず、従って、私とてこの世に偶然生を受けた人間に過ぎません。本土帰還後、戦争の延長で暴力的人間になるだけの帰還兵もいましたが、そうではなくて、人間の不条理を達観した人生を送った帰還兵もいて、それは立派なものです。
(もしかすると、何の根拠もない話ですが、私は生まれながらにして独特の感覚の保持者たる宿命は背負っているのかもしれません。)

 また、私は大学で西洋哲学に飽きて東洋哲学(神道、仏教哲学)や日本文化に舵を切り、結局は東大を中退して以来、和歌を詠み、古書・漢籍にも親しんでおり、至極光栄なことに、巫女や旧公家・華族の子女の方々とも和歌を交わして遊ばせていただいた経験もあったことから、社家が数百年に渡って伝承してきた古書を読むことができ、その記録内容に私の感覚世界との類似点を見出すだけの実学・技術が何とかあったことが奏功しました。
 そうしているうちに、恐縮ながらも、これらの巫女の方々が私を日本的共感覚の良き唱道者のように認識して下さる土壌ができていったということです。

(追記:2013年04月28日)
巫女の方々にご協力いただいて作成した『旧派歌道・歌学の流派・家元・団体の総覧』もサイトに載せております。)
『旧派歌道・歌学の流派・家元・団体の総覧』
http://iwasakijunichi.net/ronbun_ippan/kado.htm
和歌・古典
http://iwasakijunichi.net/waka/
(追記終わり)

 余談ですが、私は一時期は、やや政治的天皇論にも首を突っ込みましたが、私の哲学的価値観は結局、日本的アニミズム・神道と仏教哲学(中観・唯識・曹洞禅)とニーチェ哲学・ベルクソン哲学とを融合したもので、私の人生それ自体を「日本的実存」と名付けております。

 それはそれとして、例えば、和歌に「光」や「音」の語があっても、古書・漢籍を読解するだけの技術的・精神的基盤がなければそれを歌人の共感覚や総合感覚の発露だとは読まないわけで、最初から巫女にこのような議論を投げかける男性自体が全国的に限られています。和歌・古書を読む習慣のない脳科学者が被験者の巫女の脳データを採ったところで、それ以上の神道的・文学的な奥義の道へ分け入ることは不可能です。
 このことは、巫女の側からも同じように認識されていたようで、ただ太陽や月や星や神々を生涯の恋人とする処女として現代日本社会から隔絶されて生きる斎の巫女の方々が、初めて外界の一般国民と接して知覚世界の議論をするときに、誰のどの本を選ぶかと言えば、確かに日本の共感覚界では、私の著書が最も巫女世界に寄り添っていたものだったのだと思われます。

 そのような運命の中、いざ蓋を開けてみると、伝統ある社家が輩出する正真正銘の斎の巫女(つまり、一時期限りの女子学生アルバイト巫女などは除く)の中には、共感覚を有する女性に容易に出会うことができて、唖然としたわけです。
 私の中では、巫女の持つ共感覚は、脳科学の対象として扱って終わるような代物ではなく、文化人類学的価値です。西洋哲学的・アブラハムの一神教的二元性(「聖」と「俗」の別)から超然とする、東洋的アニミズムの最高遺産です。
 また、一般国民女性の多く(悲しいかな、私の友人・知人女性の多くも含む)が私の二冊目の著書の内容に嫌悪感を覚えて、どの共感覚オフ会でも一冊目のみに言及するのに対して、これらの巫女の方々の中には、むしろ私の二冊目の内容を男性の原始感覚と見て、神道的立場から『古事記』・『日本書紀』と照らし合わせることまでして下さっている巫女の方々もいます。

 ここに来て、「自然現象を察知できる」、「女性の排卵を察知できる」、「(先ほど申し上げた)“一足飛び計算”や“逆算的達観”ができる」という私の共感覚については、古代東洋・日本精神を継承する巫女に見解を尋ねながら、その源流を探るほかないと考えるようになりました。先ほど「知覚の遍在」と書きましたが、これは「神の遍在」という点で東洋哲学、ひいては日本の巫女神道の精神に直結するものと考えます。

 実は私の母は、これまでの巫女の方々と同様、私の共感覚を嫌悪しておらず、母自身が「そろそろ大地震が来る」と言ったら大抵は来る、「三日後に眼鏡を掛けた女性が家の裏で亡くなる」と言ったら本当に亡くなるという、そういう特殊能力を持った人です。
 ただし、母は素粒子物理学や地球電磁気学を学んだわけでもなく、「何となく空気が大地震の匂いだ」、「人の死の気配がする」というような日本語で報告するので、周囲の我々としては、驚いて様子を見、実際に地震が来たのを見計らって、改めてその神通力の本物ぶりを知るというような、そういう名状しがたく苦々しい日々を送っているわけですが、神道的立場と物理学的立場を総合して物事を見る私としては、これは当然、母は私と同じように地磁気や電離層の変化を体感できていると考えるわけです。

 私にしてみれば、このような巫女や母は、科学以前の原始感覚や神道の発祥時の精神の保持者であると同時に、またいずれ現代科学が行き着く結論が「一足飛び」に見えている究極の科学者であるわけです。

 母が予測できる出来事のうち、ある時点から最も日数が遠いものは、現在のところは地震と人間・動物の死ですが(数日後〜十日後)、例えば、車で出かける当日の朝に母が「今日は出かけないほうがいい」と必死で主張した場合、通行予定だった場所で夕方に事故が起きるなどの事態も、これまでに何度も発生しており、強い共感覚を持つ私でさえ驚くことが多いです。
 よく考えてみれば、前者の地震予知のほうが現在から遠い未来予知であるにもかかわらず、私とて後者の事故の予知のほうが科学的に説明しにくい(すなわち、一般の五感しか持たない大多数の人々からはオカルト科学であると一蹴されるおそれがある)と感じるのですが、母が言うには、そこに差があると感じないらしいのであり、「差があるという発想もしたことがないから、自分は物理学や数学が苦手なんだろう」という自虐的な答えが返ってきたため、私は苦笑してしまいました。

 ともかくこれは、母が述べていることやその予知能力のほうが、科学的に正当である可能性があるわけです。共感覚や総合知覚には自信のある(と自分では思っている)私の脳と身体でさえ、実は「非科学を科学だと勘違いしている」意識領域にまだ没入している状態にあるのだと思い知らされた良い例です。私が長年、巫女の皆様のことを、熱狂的・祝祭的にではなく、あくまでも冷静に、アニミズム的な畏怖の対象として拝見し、観察させていただいている意味を、お分かりいただけるのではないかと自負しています。

 こういった、巫女の神懸り・託宣(現代の精神病理学では、転換性障害、身体化障害、憑依障害、解離性障害などと診断される)や、私の女性生体察知能力を共感覚として扱う際には、やや難しい点もあります。
 つまり、一般的に共感覚体験(音の色、味の音、色の匂いなど)は個別具体的、千差万別であり、同じ300ヘルツの音が、ある共感覚者には赤色に聞こえ、別の共感覚者には青色に聞こえるといった具合で、一人として同じ共感覚例はない、すなわち「正解」がないわけです。その中で、「女性の身体の色や音を察知して排卵を当てる」、「空気の味や匂いで地震を当てる」といった「正解」がなぜ生じるのかという問題です。
 しかし、これは極めて簡単なことで、300ヘルツの音が赤だというのは、幼少期に300ヘルツの音を聞いた際に偶然にも赤色のボールなどで遊んでいて脳裏に記憶が染みついたからで、その点のみは後天的・学習的ですが、そのような五感の混交を生み出す脳の機序は、全人間、全動物が共有している可能性があるということです。とりわけ幼少期には、皆そのような知覚未分化の脳を持っており、皆が共感覚者であるというのが、主流の学説です。

 ただし、「巫女的なるもの」に憧れてアルバイト巫女を勤めただけの女子学生がいくら共感覚に乏しくて、古来の社家が輩出している斎の巫女のほうがいくら私が思う通りの共感覚を有して現代を生きているとは言え、巫女的共感覚が本当に後者だけの専権事項であるのか、現在でも女性に普遍的な動物的能力である可能性はないのか、と考えてしまうのが私の性です。
 聖母マリア的・一神教的母性愛への憧れとは全く異なりますが、「日本」や「日本人」としての民族的自覚において普遍的であるような共感覚がうまく記述できれば、私は本望です。

 同様に、前述のような、ある種の神懸りの状態で自然現象の察知や女性の排卵の察知、各種の超数学的処理などができてしまう私の共感覚も、史書が記録したような男性や男神の普遍的動物的能力として探究しないわけにはいかない衝動に駆られます。男神といえども、つまりは古代日本人が実在の男性をモデルに生み出した存在であるのだから、斎の巫女の社家に残る八百万の神々の伝承や『記紀』などの古書それ自体もまた、科学論文と同様に扱わなければならないと考えます。

 簡単にと申し上げながら長くなりましたが、これにて私の自己紹介とします。巫女の皆様の舞や神降ろしの最中にどのような知覚と意識の変容が起きているかについては、目下私の最大の関心事です。
 何卒よろしくお願い申し上げます。
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