2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(7) 神懸りと物理学上の電磁波動の関係について

神懸りと物理学上の電磁波動の関係について
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
岩崎純一 --- 2012年10月17日

 私の知る斎の巫女の皆様は、かなりの割合で最新の物理学や数学に詳しく、非常に面白い傾向だと思っています。以前関わった数名の内掌典の皆様や尼門跡の皆様もそうでした。先ほどの耀姫様の量子脳理論のご研究もそのようです。

 かくいう私も、最新の素粒子物理学、地球電磁気学、超数学などを追っていますが、神典・仏典でも読んだかと思うような禅問答的な言説を唱える西洋の物理学者や数学者も出てきて、それは相当面白い光景だと思っています。
 直観論理にしても、多値論理・ファジィ論理にしても、けっこう道教や陰陽道、陽明学に手を出している学者はいます。しかし、その視点がアニミズムの境、少なくとも汎神論的な世界観に入っているかというと、それは怪しいと考えていますが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年10月19日

 今の量子脳理論などは、巫女の神懸り体験と相当整合性がありますから、自然な流れだと思います。
 岩崎様が、自己紹介のところでお書きになった超高速計算や、ブログでお書きになっていた自閉症者の先見性と同じようなことです。
 巫女の神懸り体験でも、全記憶の超高速検索をやっていたり、「素粒子(光子・電子などの素粒子)を観る、聞く、匂う」というような知覚世界に行きますから、脳のミクロの電磁気的な情報処理過程への関心が生じるのは必然だと思います。

 私たち斎の巫女の神懸り体験は、社家に伝承されたり神社に祀られたりしている神々や過去の賢者の智恵を借りる自己催眠、知覚の鋭敏化であり、どこかにある霊界・天上界の神々を自らの体に持ってくる行為ではありませんから、整合性があるのは確実なのです。

 岩崎様のお母様が、数日前からご近所の方々や動物の死を言い当てたり、地震を察知したりなさるのも、なんらかの電磁波や化学物質の微妙な変化をとらえていらっしゃるものと思います。
 岩崎様の、地震・台風や女性の身体現象を察知できる共感覚もそれでしょうし、岩崎様がほとんど私たち巫女の神懸りや身体現象に精神感化されたためしがないのも、岩崎様の脳や身体が私たちとほぼ同じ電磁気的な体質(男覡の体質)をお持ちで、私たちに対して跳ね返す能力があるからです。
 このような男性は、神社にお参りしたり巫女に神託を授かりに行くのではなく、ご自身がそれを人に(氏子の方々に)授けることができるタイプです。簡単に申しますと、ご自身は呪いや祟りに引っかからず、それらを人にかけると本当にかかってしまうタイプ、人を本当に呪ってそれに対応する禍(まが)を引き起こすことさえできるタイプということです。私たちの家では、修験道に励む男衆の中に、そういう男性がいらっしゃいます。


岩崎純一 --- 2012年10月22日

 私自身がそのような体質の人間であることは、薄々分かっている、というよりも、生まれてこの方、ずっと気づいており、強く意識して生きてきました。

「知覚の鋭敏化」について、私の場合は、そのまま「共感覚」と呼んでみたり、「全知覚・総合知覚の発露」と呼んでみたりするわけですが、斎の巫女の皆様の脳の電磁気的状態、量子的状態は、人間以外の動物のメスのそれらに近いのではないかと考えています。
 私の能力も、自分ではオスザルの能力、チンパンジーのオスの能力だと述べているのですが、斎の巫女の皆様の神懸り体験にはかないません。その点だけは、私とて深い畏怖のようなものを持っています。

 超高速や「素粒子を観る、聞く、匂う」という言葉からは、(超)光速という概念が思い浮かぶわけで、よく「光速度は秒速30万km」と言われますが、あれは「“質量ゼロの速度”の人間界(あるいは、人間の顕在意識)における名称を秒速30万kmと言う」と言ったほうが適切かと思います。ほとんどの物理学者は前者の言い回しですけれども。
 例えば、これは天台宗でよく言われますが、「止観」という言葉があります。これは、「止」と「観」という瞑想の二側面を言った言葉で、いずれにしても、単なる「停止」や「観察」の意味ではなく、「自分の思考・観察・直観を一度は止めてみることだ」ということを言っているだけでなく、「止観によって自分の時間も止まる」と言っている仏僧がいます。
 時間が止まるということは、光速自体になることですから、質量がゼロ、つまり、それと等価のエネルギーがゼロ(思考に使用しているエネルギーがない、つまり、思考してしない)ということになるわけで、そこで「無心・無思考(瞑想)は全思考・超高速思考に同一である」との究極の悟りが生じることになるわけですが、観測者(自分の脳を観測する仏僧自身や、仏僧を観測する科学者)によって観測される仏僧の神経伝達物質やニューロン発火それ自体は、それらの構造体自体の質量や抵抗の存在によって光速になり得ません。いかなる思い出の想起や、アイデア、発想・構想、ひらめきも、相対性理論と量子力学の適用を当然受けますから、電磁波動それ自体(無限大の高速度、無限大の「走馬灯))にはなり得ません。

 ここで、それら仏僧たちの言うこと(「自分の時間が止まって見える」など)を信じられるかどうかという話ですが、仏僧の脳を西洋的・一神教的まなざしで観測しなければ、そして、人間の思惟・思考は神経伝達物質や脳電位の順列組み合わせのみによっては生じておらず、多くの神仏と人間との狭間にある「合気(場)」それ自体が生じさせていると考えれば、信じられるわけです。電磁場というものは、本当はそのような「場」であると考えます。


神代の巫女 --- 2012年10月23日

 面白い解釈だと思います。神と巫女の関係も、「神が私に入る」関係であると同時に、「私が神に入る」関係でなければなりません。巫女舞でも、どちらかがどちらかの上に立って「観測する者」と「観測される者」に分裂すると、それは神託の失敗です。最も心地よい神懸り体験は、ミクロ世界では電磁波動の最も良い共鳴としてとらえられるのでしょう。

 ただ、スマホやコピー機などの電子機器類に、巫女舞に入る直前か巫女舞が終わった直後の私が近づくと壊れることが多いのは、いただけませんが。


岩崎純一 --- 2012年10月25日

 神代の巫女様がおっしゃっている、「観測する者」と「観測される者」の分裂、神託の失敗というものは、私の専門である哲学(というより、私の哲学史観)から申しますと、ユダヤ教の発祥そのものだと考えます。もちろん、ユダヤ人の脳によっては、それは「一神教的神託の成功」と認識されています。
 よく、日本神道とユダヤ教との同一視や近縁性の主張をする、つまりは「日ユ同祖論」を唱える日本人がいますが、日本神道のアニミズムに近いのは、ユダヤ教発祥以前のオリエントの多神教文化であって、私から見ると考えられない宗教の見識です。
 相対性理論は言うまでもなく、ニュートン力学・古典物理学を超克する多くの近現代の新物理理論は、ユダヤ系物理学者(ユダヤ教徒)が発見しておりますが、それとて彼ら自身には、一神教的世界観の超克と汎神論的世界観への回帰という意識はないらしく、あくまでも一神教信仰の賜物であると述べる物理学者が多いです。

 言われて思い出しましたが、私も電子機器類に近づくと、よく停止したり挙動がおかしくなります。ただし、私はパソコン・ITマニアでもありますので、直すのも早いです。それに最近は、私の思考や身体は、パソコンやスマホの挙動にはほとんど影響しなくなりましたが、テレビやエアコンのリモコンの挙動のほうにしばしば影響しています。


つくりつくり姫 --- 2012年10月25日

 巫女舞や神託をしているときの私たちの体も、私たちの社家の神剣・神鏡なども、計ってみると異様な電磁気を帯びています。体がリモコンになれるという言い方でもよいかと思っています。


吉備の斎の巫女 --- 2012年10月26日

「“質量ゼロの速度”の人間界(あるいは、人間の顕在意識)における名称を秒速30万kmと言う」というのは、一見物理学者に対する嫌がらせのようで、かなり正しい表現だと思います。このあたりの感覚なら、うちの巫女たちは皆共有している気がします。知識として持っている巫女もいます。
 ニュートリノも、質量はあるものの、強い相互作用と電磁相互作用を生じないのでわかりませんが、私たち斎の巫女の体も、いわば「天然のスーパーカミオカンデ」、「波動や粒子を受け止める器」とも考えられます。

 話はやや変わりますが、以前、岩崎様が二冊目のご著書をめぐるご縁で三砂ちづる先生にお会いになったり先生のご著書をお読みになった際、納得できる点と違和感を覚える点の両方についてお書きになっていましたが、岩崎様のお考えと私の考えは近いと改めて感じました。私は例えば、高岡英夫氏の身体論についても、同じ違和感を覚えます。
 これは、以前岩崎様とのお話で出た、黒住教や金光教のニューエイジ化・ヒーリング宗教化への違和感とほとんど同じものだと思います。このあたりにつきましても、またお話させていただければと思います。


岩崎純一 --- 2012年10月29日

「因果応報」という言葉も、「人に悪いことをすれば、そのうち自分に跳ね返ってきて悪いことが起きる」という解釈が主流ですが、この解釈にはかなりニュートン力学的な浅薄さが漂っていると私は思っていて、本来は「原因それ自体が結果を含む」、「原因は結果である」が正しいわけです。「原因、即、結果」であるとか、「結果が原因よりも先に起きることがある」ことが体得できていないと、これは分からないと思います。

 人間の自由意志についても、ベンジャミン・リベットなどの検証実験により、「自分の手を運動させる脳電位の発生時刻」が「自分が手を動かそうと思ったと自覚した時刻」よりも前で、かつそれらのどちらよりも「自分の手が実際に動いた時刻」が早い時刻だったというようなことは、すでに観測されています。

 私から見れば、こういったことを体得なさっている皆様の日本的・東洋的身体というものに、深い感銘を受けます。
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