2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(8) 巫女が詠む和歌の呪力・魔力について

巫女が詠む和歌の呪力・魔力について
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
つくりつくり姫 --- 2012年11月2日

 岩崎様と同じく和歌を伝承している巫女として申しますと、和歌というのも本来は聞き手・受け取り手(恋の和歌の受け取り手や、歌人から呪われる側など)を良くも悪くも金縛りや催眠術にかけることができるものでした。これは、ある一定の音の数や並び方を持つ音波が実際に脳波や身体に影響を与えることで生じるもので、例えば、テレビの光の点滅を見ててんかん型脳波が発生するのと同じ原理だと私は考えています。
『万葉集』より以前の歌垣の世界、妻問婚・女系時代の頃は、男が詠んで自分が妻にしたい女性を暗示で縛ったり、反対に女性・巫女が男に詠んで浴びせて心身の失立状態にしてから追い返すようなことのできるものでした。

 誤解を恐れずに言えば、合気道の「遠当て」と呼ばれるものに近く、原点からずれてしまいスピリチュアリズム化してしまった流派もあるのですが、私たちの場合は、巫女舞の旋回パターンで和歌の言葉と同じ作用を生み出すことができます。
 歌垣が一般的だった頃は、短歌以外にも長歌や祝詞の原型が見られますので、鬼道・呪術そのものという扱いで色々な型があったのかもしれないと思います。

 岩崎様の和歌によっても時々、私たちの巫女舞や和歌が生み出す催眠効果と同じような催眠が私たちのほうにかかることがありますが、私の体感では、岩崎様の共感覚的な催眠術能力は、万葉的な呪力ともやや違って、魔術的リアリズムのような感じがあり、やはり岩崎様の根底にある、現代の短歌結社文化や神道・仏教への反発心が影響している気がしています。岩崎様の「対女性共感覚」も、もしかしたらこれに近いと思います。


岩崎純一 --- 2012年11月5日

 私の和歌の真髄をよく突いていらっしゃる気がします。
 単なる私の修辞技巧上の和歌観、趣味嗜好だけを取って見るならば、私は二十代半ばからは、やや京都趣味に寄りすぎているところもありまして、和歌史上において、天皇におべっかを使わずに存分に共感覚を発揮して詠まれた歌集は、『新古今集』とその前後だと考えており、最も好きな歌人は藤原定家、藤原家隆、九条良経あたりではあります。
 一方で、この頃の勅撰集は、芸術至上主義的、象徴主義的な誇張表現もありますし、和歌の真髄を標榜した名言、「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける (中略) 力をも入れずして天地を動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男女のなかをもやはらげ猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」は『古今集』の仮名序のものですし、和歌は万葉・古今集のずっと以前、もっぱら呪術や金縛り術として使われた時代から、共感覚文学の姿を呈していたのは確かでしょう。

 もっとも、和歌は吉備地方の隆盛の間隙の時期に最もきらびやかに京都で栄えますから、吉備生まれの身としましては、皮肉ではありますが、とりわけ巫女の詠む神懸りとしての和歌の共感覚性については、勅撰集とは別に探究してきたところです。巫女神道における歌道は、勅撰集の陰に隠れていますけれども。

 定家の「さむしろや待つ夜の秋の風更けて月を片敷く宇治の橋姫」などは、巫女的美意識(または、その観察者)の絶唱歌でしょうが、「風が更ける」、「月を片敷く」という直覚体験なしにこういう歌を詠むと、普通はこういった露骨な共感覚表現に耐えられないのではないかとも思います。
 定家はその感覚が分かっていた人ですが、それが分からないまま和歌分析をすると、新古今集はきらびやかな修辞技巧ばかりで、万葉の世界こそ素朴な自然主義だ、とこうなるわけです。今、アララギ系の歌壇を見てみますと、プロからアマチュアまで、ほとんどがそういう短歌観です。

 私から見ると、それはむしろ逆で、貴族政治の息がかかったり貴族らの天皇へのおべっかが入ることで、万葉歌に込められていた神託や呪いの言葉が抜け始めたのが『古今集』だと思います。枕詞というのも、本当は人心や動物の気や風や雷を起こしたり制したりする力を持つものですが、皆様のように神託に襲われたり、私のように万葉集などの和歌に呪われたり取り憑かれたりしたことがないと、こればかりは分からないと思うのです。


つくりつくり姫 --- 2012年11月9日

 巫女の和歌は、斎王歌壇以来、伊勢をとっくに離れており、今では吉備・播磨などの私たちのような社家に秘伝として継承されていますし、元から勅撰集のように共感覚的な修辞技巧などの文学能力を天皇や家臣にアピールする文化ではないですから、陰に隠れていますが、それぞれの同時代の勅撰歌よりは、万葉的な魔性を帯びているのは確かです。修辞技巧ではなくて、託宣でも詠みますから、神々の言葉が私の口をついて出たり私の手で書かせる自覚はあります。

 確かに、「さむしろや待つ夜の秋の風更けて月を片敷く宇治の橋姫」のような歌では、共感覚表現が美しいと同時に、ややわざとらしさも目立つので、金縛りや神託はかかりにくい気はしますね。ただ、実践してみればわかりますが、我が家に伝わる韻律と巫女舞で唱えば、私のそばにいていただければ、ある程度の確率でかかると思います。


神代の巫女 --- 2012年11月12日

 伊勢の斎宮歌壇と賀茂の斎院歌壇では、神降ろししながら和歌を瞬時に詠む、歌垣時代の託宣が長らく行われていたと思いますし、その後も実は託宣による歌詠みが保たれていて、肝心の天皇への天照大神の託宣儀式のほうが早くから形骸化していたのですが、賀茂真淵による国学以降は、賀茂社家自ら中世歌道から国学へ乗り換えて、巫女の和歌も神降ろしも邪教扱いとなったのです。これは、岩崎様がお作りの歌道流派リストにも入っていますけれど。
 巫女禁断令のときも、巫女の歌詠みは軽視されました。


吉備の斎の巫女 --- 2012年11月13日

 神懸りの儀式による歌詠みは、全国的に見ても吉備地方にはよく残っているようです。
 朝鮮半島では、口寄せ系や、郷歌(ヒャンガ)のなごりのような言葉のフレーズを託宣するシャーマンである巫堂(ムーダン)がかなりいると言われていますが、実態はよく分りません。伝統をしっかり守っているシャーマンも多くいると思いますが、一方で、神託を詐称する卜占業なども多いと思われます。
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