2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(10) 岡山の神道系新宗教の隆盛

岡山の神道系新宗教の隆盛
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
岩崎純一 --- 2012年12月5日

 また後日書きますと述べていたことが以下です。以前にも何度かお話しさせていただきましたが。

 私が目下、吉備の神道について不安視しているのは、今でも岡山の由緒ある神社神道系の社家の中に、巫女に限らず宮司や禰宜にも、いわゆる神道霊学、秘教神道に舵を切ったり、金光教、黒住教、ほんぶしん、神習教、天理教、大本、神道天行居などを思慕してその方向に舵を切る人が絶えないことです。
 私も以前から、金光教や黒住教のニューエイジ化・ヒーリング宗教化に言及していますが、神社神道本流の宮司や禰宜のニューエイジ人間化・ヒーリング宗教者化とでも呼びたい傾向も出てきていると感じます。
 ご存知の通り、前者の四宗教は岡山発祥であり、このほか岡山の新宗教、ニューエイジ系集団の勃興率の異様な高さは全国的にも珍しく、県内社家の巫女の間でも話題になると伺っていますが、岡山の土と空気(風土)がそうなっているかどうかを、それこそ皆様に神託して見ていただくまでもなく(?)、歴史がそのこと(岡山は新宗教が発生しやすい土地であること)を示しているので、悩ましいところです。
 私は、私立の中高一貫校卒ですが、一家・一族丸ごとこれらの教団の信者である同級生はたくさんいました。当然、東大に進んだ人もおります。

 国家神道と同じくらい、教派神道・神道系新教団とも関わらずに近代の神道改革を乗り切ることのできた岡山の巫女神道の社家はあるのでしょうか。ただし、神道大教や神宮教、出雲大社教は、良くも悪くもこの話題から除かれる性質のものと考えますが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月7日

 なぜ岡山における新宗教の発祥が多いのかは、それこそ死ぬ覚悟での神懸りを経ないとわからないことかもしれませんね。ただ、私の一族は、金光教や黒住教、神習教などの影響を受けずに近代を乗り切ったものと私は見ています。
 しかし、現在でも周囲はこれらの信者だらけです。金光教は、大字丸ごと信者であるところもあります。

 遡って申しますと、日本神話(『記紀』や私たちの社家に伝承される神話)の想像力・創造力に富んだ虚構性や脚色は、江戸末期の教祖個人の霊体験とはまったく異なる性質のものであると考えています。仮に前者の神話だけが創作で、後者の体験が事実だとしても、私たちの言う神道とは前者を伝承する精神のことを言うので。
 金光教については、今では信者も外部の県民も、これを神道と認識することが最も難しい教派神道系の団体だと思います。天理教やその系譜のほんぶしんなどは、自他共に認めるとおり、まったく神道ではありません。また、禊教は岡山の教派神道ではありませんが、金光教も禊教も、皮肉にも白川伯王家の後ろ盾で急成長した新宗教です。ただし、当時は金光教も神道と言えたからこそ、白川伯王家もそれを助けたのだということは言うまでもありません。

 ただ、吉備地方の遺跡群や、私たちの社家に秘伝・埋蔵されている文物なども、『記紀』の記述の反証となる(つまり、『記紀』の捏造性を証明してしまう)ものが含まれますし、国学・近代化の時代以降は、発掘・研究禁止も指示されました。このようなことから、岡山という土地は、「新教団を立ち上げて、(事実上)既成神道に反逆せよ」との天命を自分個人が受けたという神託体験を捏造する教祖・神職や詐称教団を生み出しやすく、また、明治以降の国家神道などの国策に対する反骨精神の残存もあって、そのような教祖・教団を町民・村民レベルで継続的に信仰しがちな土地柄ということはあるかと思います。

 ちなみに、私の社家は、国家神道の影響も直接的にはあまり受けていませんが、間接的に受けています。以前も触れましたが、新政府による神道国教化や国家神道構築の動きで白川伯王家が没落したため、皇室神道(内掌典、斎皇女)と私たちのような原始巫女神道(斎の巫女)との関係が完全にとだえるという結果になりました。


岩崎純一 --- 2012年12月9日

 神託体験を捏造する教祖・神職や詐称教団を生み出しやすく、町民・村民側もそれらを信仰しがちな土地柄という視点は初めて聞きましたが、合点がいきました。普通は、池田光政の神仏分離政策、仏教(特に浄土真宗)への弾圧と神道・儒教の優遇などが、原因として挙げられますので。

 巫女神道への間接的な影響としては、大教宣布・神道国教化、神道事務局祭神論争、そして国家神道・教派神道制度への方針転換といった政治的混乱の影響が大きかったのでしょうね。発掘禁止の指示も、本来は、大和朝廷への古代吉備王国の貢献度や、吉備に残る斎の巫女たちの神託を、国家神道側が恐れたというのが真相ではないでしょうか。それで結局、巫女神道には神道の場からご退場いただく、巫女の神験の影響自体を神道から排除して、近代化や帝国主義戦争に使える国家道徳に神道を作り替える、という方針になったのだと思います。

 もちろん、岡山県に限らず、教派神道の教団ごとの方針(明治新政府や戦後の政府への反抗の仕方)や教派神道連合会との距離感の違いは見られます。
 しかし、例えば、人工言語(岩崎式言語体系)を制作していて言語学関係者の方々との交流のある私から申し上げますと、エスペランティストや世界連邦主義者には、戦後に教派神道連合会に加盟した大本の信者が相当数含まれます。これは、出口王仁三郎がエスペランティストだったことに起因していますが、これらの方々の一部は、「日本語や日本国を廃止して、エスペラントや世界連邦国家・政府だけを統一言語や統一国家・政府として残したとしても、日本神道を残すことは可能である。日本神道の概念は完璧にエスペラントに翻訳することができるため、祝詞をあげるのもエスペラントを使えばよい」と主張しています。
 このような主張をする大本の信者は、岡山県にも今なお多いです。これらは、一見するとニューエイジ的・近未来的な発想ではありますが、未来にも実現不可能な内容です。そして、この大本の教義にさえ不満・不足を感じてこれを脱退した友清歓真が創設した宗教結社が、神道霊学に基づくユダヤ陰謀論(ユダヤ人に対する霊的国防)を今でも唱える神道天行居です。
 これらは、私の言語観や神道観とは全く相容れないものです。

 そういえば、神懸り体験や共感覚の議論のところでも、皆様が私に合気道を勧めて下さいましたが、植芝盛平の大本入信などを見ていても、根本的なところで安っぽい印象や、ちゃちな感覚を覚えてしまう私は、今まで通り、巫女の皆様との交流や、真面目に生きていらっしゃる精神障害者や発達障害者の方々との交流、自分自身の共感覚体験などから、「合気」さえ体得できていれば、いかなる武道も宗教も私には無用だろうという考えで、現在のところは生きています。

 以前話に出た日の巫女のご一族の耀姫様の神道史観についても、真っ当であるとする人もいれば、それが史実をどこまで反映しているのか、現在の(旧)教派神道系の教団並みのニューエイジ思想にすぎないのではないか、と疑う人もいるなど、賛否両論があるようです。

 私は様々な言語学閥の動向を追っていますが、面白いことに、言語学においても、東アジアの扶余や高句麗で飢饉に苦しんだ、天日矛神を信仰する一族が、九州に渡り、吉備に辿り着いたという説は唱えられています。なぜならば、日本語自体が、扶余語や高句麗語に近いのは確実であるからで、日本語とこれらを合わせて扶余語族とする説があります。
 ただし、正統の言語学ではほとんどタブーです。一部の社家の神事(ほとんどが耀姫様のご一族の神事)で使われる、変則日本語に聞こえる「高天原言葉」なる言葉も、実質的には高句麗語の姿を残していると思われます。その後、日本列島土着の言葉にそのような渡来系の言葉が重なって「大和言葉」が成立していき、大和朝廷が誕生することになります。
 これとは反対に、日本語は南方起源だとする説に、大野晋の「日本語クレオールタミル語説」などがあります。私は、これについても極論過ぎると疑っておりますが、しかし例えば、耀姫様の言語観・日本語観において「大野の法則」などがどう受け止められているか、耀姫様のご一族の「高天原言葉」やお手元にある神典などの通時言語学的分析と耀姫様がお唱えになっている生得真理との理論的統合は成されるか、といった点に関心を持っています。

 いずれにせよ私は、「日本語は、世界的に極めて古い、多言語のハイブリッド言語」であり、「日本文明は、南北の様々な超古代文明のハイブリッド文明」というのが真相だと考えます。
 ニューエイジ化した教派神道の教導者陣による神道教育程度では、その深みと重みには耐えられないと思います。

 ともかく、神道かどうかよく分からない新宗教が興されたり、ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論の両方が展開されたりと、一部の岡山県民に見られる神道観は色々と危ないと感じる今日この頃です。


つくりつくり姫 --- 2012年12月10日

 私も岩崎様と同じく、黒住姓を先祖に持つ家ですし、私たちの場合は血のつながりもあるとされますが、ややこしい分派があって以降は関わりはありません。川崎医科大学総合医療センター、川崎学園、旭川荘など、黒住教系の施設への訪問歴はありますが、神道上の共通点があると感じたことはありません。日本会議とも関係が深いようですし、うちの一族としては、黒住教は政治・営利団体ととらえていますよ。
 黒住教は、元は朝日(初日の出)を拝む日拝の神事にアニミズム性が宿っていましたが、天照大神に万物創造主の性質を持たせて以降は、私たちの巫女神道から見れば、天理教や金光教と同じく「神道ではない新宗教」であると映っています。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月11日

 岩崎様の教派神道のニューエイジ化に対するご不満やご不安は、私たち巫女神道の立場から見ても、本当にまっとうだと感じます。宗教や、合気道などの武道へのご姿勢の徹底ぶりも、恐れ入ります。

 とくに岡山県内の私たち斎の巫女がこれから県内の教派神道や神道霊学とどう関わっていくかについては、当の私たちにも解決がついているわけではありませんし、一筋縄ではいかないと思いますので、岩崎様の神道観・文明観や言語学体系も取り入れて考えるなど、優れた個人研究者・非宗教家の方々とも議論を深めたいと考えております。
 ほぼ全てが秘伝である耀姫様のご一族の皇別系巫女神道の「高天原言葉」などは、正体不明である以上、分析のしようがないので別にして、先ほどの大本のエスペランティストの方々の言語論や神道天行居のユダヤ陰謀論よりも、岩崎様の『大全』や言語論のほうが、よほど神道の本質を語っていらっしゃると思っていますので。

 ちなみに、金光教や黒住教の信者にも、エスペランティストは多く、共産主義者も多いですし、日本語廃止論者や世界連邦国家論者も見かけます。大本の主張とほとんど区別はつきません。日本語を廃止して世界統一言語(エスペラント)だけを用いるようにしても日本神道を世に残せるという、これらの方々の信念は、天照大神や天皇を宇宙万物の創造主とする一神教思想からしか出ませんので、従って、私たちからすれば神道とは認めがたいです。
 私たち巫女神道において、天照大神も天皇も万物創造主ではあり得ないのは当たり前のことですので。
 戦前は、大本を中心に、教派神道信者の軍人も多かったですし、金光教や黒住教にも軍人の信者が多くいましたが、一神教的な天皇教は、そもそも神道、巫女神道とは相容れないのです。


神代の巫女 --- 2012年12月14日

 教派神道については、少なくとも岩崎様が挙げておられる岡山県内の教派神道系新教集団は、私たち斎の巫女の伝承とは無縁のものと思っておりますので、関わりそのものがございません。教派神道系と言っても、様相がまったく違いますし、天理教とその分派は、私は神道でさえないと考えておりますので。
 結局のところ、黒住教の発祥のきっかけである黒住宗忠の天命直授や、金光教の発祥のきっかけである金光大神の立教神伝が、古代吉備王国時代からの神事を伝承する私たち斎女の「神懸り」と同じ(科学者が一応説明できている)合同感覚的な自己催眠だったかどうかを、タイムマシンで過去に戻って検証しなければ、それらの宗教を神道と称することも不自然だと思います。
 日ユ同祖論も、日本の神道とつながるのは、ユダヤ一神教ではなく、それ以前の古代エジプト・オリエントの多神教世界だと思っていますので、私としては関わっていません。

 言葉はとても悪いですが、私たちの巫女神道は、いろいろな教派神道系教団やオカルト科学とは今後も無縁でありたいと願っています。


岩崎純一 --- 2012年12月16日

 つまりは、成立過程にニューエイジ性が伴っていないことが明らかである神道大教や出雲大社教は別にして、とりわけ岡山発祥の教派神道系宗教は、神道であるかどうかを再確認しないとどうしようもないようですね。私も、かなり幼い頃から、これらのどこが神道なのかよく分からないという思いで見てきました。
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