2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(11) 日の巫女の王の伝承と日本最古の皇別系巫女神道

日の巫女の王の伝承と日本最古の皇別系巫女神道
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
神代の巫女 --- 2012年12月21日

 逆に、オカルト日本史と思われそうで、実は『記紀』よりも史実に近いと思われる伝承が、播磨・吉備地域のいくつかの社家に残っています。
 総社の秦(『隋書』に出てくる秦王国の有力候補地)や阿曾や、県内の神代(こうじろ)の出身の、またはそれらの土地にゆかりのある社家には、神武天皇以来の現在の皇統が意図的に作られる以前、つまり、『記紀』の創作、天照大神や神功皇后の創作より以前の神話(『記紀』作者たちが、唐に対抗するため、あえて覆い隠したと思われる史実)と、それに基づく神事が伝承されています。

 その中でも、この前にもお話に出ましたが、耀姫様の日の巫女のご家系は、私たちと同様、女系世襲のお家であり、現在は六甲山の麓に居を構えていらっしゃいます。ただし、注意すべきなのは、そのお家は、私たちのような、最初から現皇統と血縁関係を持たない神別(天神・天孫・地祇)系の巫女神道ではなく、あくまでも皇別氏族・皇室神道系の巫女神道のお家であり、そして驚くべきことに、真人(まひと)である息長氏の一族であり、忌み家として存続してきた皇祖母神のお家とされる点です。
 つまり、いくら皇室神道が巫女神道色を失っているとは言っても、元から皇統とほぼ無関係な私たちの巫女神道と異なり、耀姫様の一族は皇室神道に近いのです。当然お立場上も、私たちどころではなく高貴で、「斎王(斎宮、斎院)」ならぬ「斎皇」という呼称もお使いになっているほどです。そして、私たちが伝承する祭祀・秘儀よりも、耀姫様の社家のそれらのほうが、格式上も舞の型の上でも、皇室神道の斎の巫女のものに近いです。代々の「斎皇」は、皇室神道の斎の巫女であるということです。
 伊勢や賀茂のほうの斎王制度がかなり早く廃れた理由としては、武家政権の登場により、天皇が祭祀を担うだけの非政治的存在となり、天皇と斎王の役割が重複するようになったため、という説も学界では見られますが。

 従って、日の巫女の王の一族が天照大神や神功皇后の創作より以前の神話・神事を伝承しているとは言っても、それは太陽信仰を中心とする渡来系のもの(耀姫様によれば、高句麗道教系統のもの)で、おそらく造化の三神や神代七代の伝承は、内容の真偽のほどはともかく、どちらかというと私たち神別系巫女神道のほうによく遺されていることになると思います。
 つまり、耀姫様のご一族は、「日本神道の家」としては最古かつ最高位かと思われますが、「アニミズムの精神を持った日本列島の人々」の中では、有史以前から土着していた人々よりは新しいお家ということになります。

「神代」は、吉備地方や私たちの社家では「こうじろ」と読み、「神社(こうこそ・かむこそ)」と読む人もいますが、これらの言葉の起源はとても古く、西日本には、現在の神社(じんじゃ)それ自体の原型であるとされる「姫社(ひめこそ)」が点在しています。現存する総社市福谷の姫社神社に行けばわかりますが、祭神は「阿加流比売神・天照赤留日女尊・明かる姫(あかるひめ)」=「照日女(てらしひめ)、輝夜姫・かぐや姫(かぐやひめ)」です。この姫が天照大神のルーツとも言われています。
 この「あかる姫」(あるいは当時、単に「姫」)を降ろす巫女を有する家があり、そのお一人が先ほどの耀姫様とされます。

 ただし、ご当人も、その一族が中央集権国家大和朝廷を支える一氏族だったとしながらも、その最大の根拠が未だなお「一族の故老の伝承」であるという点はしっかり述べておられ、検証が待たれるところです。前にも書きましたが、一族は、長い歴史の中で分派と再統合を繰り返しているようで、各家・各古老の方々ごとに伝承にもずれがあるようですし、耀姫様の神道観に対しても、どこまでが嘘でどこまでが本当か、色々な意見があるようです。
 それでも、これらは、神武天皇の東征神話に比べて、格段に物証のある話で、私たちの社家も注目しています。

 日の巫女のご一族(皇室神道系)もそうおっしゃっていますが、私たちの社家(天神・天孫・地祇氏族系)でも、大体以下のように「太陽と人間の結婚」を伝承しています。
 昔、アジア大陸の東にあった国のある池で、人間の女性が水浴びをして遊んでいたところ、太陽の光が水鏡に反射してホト(女陰)を照らした。すると、女性は孕んで赤い玉を産んだ。その玉は成長して阿加流比売となった。姫は、やがて天日矛(あまのひほこ)という太陽の神に見初められて、妻となった。
 このような伝承です。

 天日矛(天日槍)は武器の神で、耀姫様のご一族では鉄の神剣を振る剣舞が神事の中で最も重視されているようです。神道の家柄ながら、ご親戚には刀鍛冶の家もあるとのことです。耀姫様の神剣は近年作られた分霊品で、普段持ち歩けるように金銀の装飾を施して七宝焼き仕上げにした美術品の体裁を取っているようです。
 以下の点は、私たちの神事と似たようなものです。

○ 古式に則って、甘南備山(神名火山)の山頂の磐座の上に祭って雷雲を招来する神事を行って、落雷によって生じた電流を用いて磁気を帯びさせている。
○ 敏感な人は、振ると磁気刺激を受けて脳が反応して簡単に催眠状態になれるので、神事の進行上重要な実用的アイテムになっている。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月23日

 耀姫様は、ネット上で最も厳しく『記紀』以前の巫女神道を説いている斎の巫女ですから、学術界、市民運動家からもバッシングがかなりあるようですし、耀姫様の主張も検証が必要な部分があるにはありますが、古代の皇別巫女神道の継承の仕方としては極めて貴重なのです。卑弥呼の鬼道と高句麗道教との深い関連性から、日の巫女の一族は、一度大陸に渡ったあとに太陽信仰を帯びて里帰りした縄文系の一族という説も唱えていらっしゃいます。
 明治天皇を頂点に据えて神道国教化や国家神道の建設をもくろんでは迷走してきた新政府が、吉備地方の伝承にうっかり手を出せず、私たちの先祖である斎の巫女たちに巫女禁断令をうまく適用できなかったり、事実上神懸りの神事を黙認するなどしたのは、斎王のいない伊勢がもはや行っていない、天照大神の神託を授かる祭祀を残すこういう社家が吉備・播磨地方に残っていた事情もあったからでしょう。

 ちなみに、かの桃太郎伝説は、天日矛一族の東進神話を下地にして神武東征神話が作られ、それらを下地にして子供向けの御伽噺として作られたもの、というのが、私の地域での伝承です。
 以下のような耀姫様のご体験は、私の幼少期の神降ろし体験にも近いですし、前の電磁気のお話ともつながると思います。

「7歳の頃総社の姫社神社を訪れて、あまりにも心地良い場所だったので、自然に体が動いて、拝殿で剣舞を奉納したことを思い出しました。なぜ心地良かったのか、今日活断層の分布を調べて納得しました。中国地方の数少ない活断層のひとつ、畑ケ鳴断層の南西端に位置する場所に建っていますね。土地が帯びている環境磁気を測定すれば、おそらく脳に良い結果が出てくると思います。」

「日本神話の中に登場する 耀姫(あかるひめ)」(耀姫の日記)
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100122/1264163279


つくりつくり姫 --- 2013年1月12日

 耀姫様の家系の、姫社をめぐる古老の伝承は、今一度検証されるべきものでしょうね。近世の国学者たちが神道の本質を見誤ったことが、明治政府の巫女禁断令につながったといったご主張はその通りだと思うのですが、その遠因が神仏習合にあるというようなご説明は、やや私の認識とは違いがあるようです。
 それでも、『記紀』の創作性がどこから来たかとか、現在の皇統は勝利勢力の一部に過ぎない点の説明は、論理的だとお見受けします。

「台与亡き後の混乱期に、九州の日向あたりに住んでいた人々を中心に、再び新天地を求める動きが起こり、これと結びついた旧邪馬台国の一分の人々が東進を開始したようです。当時、東の地には銅鐸文化圏があったため、戦闘の最前線となっただろう吉備の地に、鬼ノ城を築いていったようです。吉備と言えば、作られたときには日本最大級だった前方後円墳を生み出した、強大な力を持った豪族が支配した土地です。その発祥の地は姫社神社とされています。そこに祀られているのが耀姫です。他の地域の神社のように、後世になって記紀が創作した神功皇后に名前を塗り替えられることなく、古い時代の祀神の名がそのまま今に残されている貴重な神社のようです。日矛耀姫ペアを信仰する集団が発端となって栄えたのが、吉備王国だった可能性がうかがえます。」

「巴紋と託宣の儀式から紐解く古代日本史。(卑弥呼と天照大神の実像)」(耀姫の日記)
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100218/1266474872

 岩崎様の共感覚論との関連で言えば、自分たち巫女の神懸りが、自己催眠の技術であって、統合失調症などではないとしている点で、整合性があり、適切だと思います。


神代の巫女 --- 2013年1月13日

 姫社神社(祭神はアカルヒメ=阿加流比売、天日矛の妻)には、誇らしく「古代吉備国発祥の地」の看板がありました。


岩崎純一 --- 2013年1月17日

 姫社神社に行かれたのですね。

 神仏習合についても、実際は色々ありますからね。仏教勢力が神社を乗っ取って神宮寺を建立したケースもあれば、一部の門跡などは皇族が寺を乗っ取って居座っています。
 本地垂迹も、いざ神仏の組み合わせ作業をやり始めたら、段々と神仏のパズル遊びのように思えてきますし、言い方は悪いですが、適当に当てはめたとしか思えない本地垂迹の流派もあります。

 結局、どっちもどっちだと思いますが、庶民レベルでの神仏習合は、そういうものではなくて、現在までほとんど宗教的ドグマもなく、神道と仏教とキリスト教の違いもよく分かっていない、「何となく何でもやっている」感覚でしょう。
 そうは言っても私は、前近代の神仏習合のほうに深い感銘を受けますし、昨今の烏合の衆のような、初詣、神社参拝、クリスマス、ハロウィーンの騒ぎには興醒めしており、これらを「神仏習合」や「宗教の融合」や「和の精神」と呼びたくはないと思っています。


吉備の斎の巫女 --- 2013年1月21日

 耀姫様は、当の天皇・皇族勢力は、仏教徒化と神道の伝統の喪失が原因で、耀姫様の家系(日の巫女の一族)から低い評価を受けるに至ったとしていますが、これですとあまりに古い伝承で、検証が難しいものではあります。それはそれで、興味深いのですが。

 耀姫様は、

「天皇は神子と呼ばれたことがなく、日の巫女の王(後の斎王)より位が下とされた時代もありました(これは卑弥呼の例を見ても明らかでしょう)」、

「桓武天皇が日本書紀31巻を焼き捨て、他の箇所も書きかえるよう命じたのはなぜですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296395282

「憲法上の象徴天皇ではあっても、残念ながら天照大神の精神を受け継ぐ神道上の正式な天皇と言えるかどうか、微妙な立ち位置ではないかと思います」、

「天皇が神の子孫というのは、史実ですが、なぜ最近は神の力を使わないのでしょうか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1095475335

「明治天皇までは行われてきた、天皇が天照大神と心身一体になる儀式を、大正天皇からは行っていないので、私達から見れば、残念ながら正式な本物の天皇と考えることは出来ません。もちろんこれは、日本国憲法上の象徴天皇であることを認めないという意味ではありません。憲法上と宗教上は考え方が違ってきます。」、

「巴紋と託宣の儀式から紐解く古代日本史。(卑弥呼と天照大神の実像)」(耀姫の日記)
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100218/1266474872

と、驚くべき言葉で喝破なさっていますが、たとえ私たち巫女神道の立場(神々を降ろす巫女舞を舞うことのできる立場)からはそうだとしても、日の巫女の王の一族にしかできない発言で、私たちの一族がそのような立場になったことはなかったと思われます。

 ただし、以前からお話に出ていますが、耀姫様のご報告は、当時の明治政府が私たちの家系の巫女(私の曾祖母、祖母、母やその姉妹)の神託をも恐れた経緯ととても似ていますので、あながち軽視できないのです。そして、日の巫女の王の一族は、明治政府から最も恐れられた一族ということになります。


岩崎純一 --- 2013年1月23日

 私は、この日の巫女の一族のことは、和歌と巫女神道の両面から知りました。現在の一族の長である耀姫様の主張としては、ご自身の一族が伝承する神話(というより実話)があって、それが現行の日本国の皇統側の正史においては『古事記』という形の中に組み込まれているにすぎないという見方かと思います。

 日の巫女の一族の全てのご主張が史実に寸分違わず正確妥当だとすると、現在の男系男子の皇統は、千年以上に渡って伊勢斎王のまともな神託による天照大神の影もなく(しかも、斎王の神託自体が事実上初期から形骸化していたらしく)、仏教化した皇室神道のもとに展開される血統で、日の巫女の王(日巫王)すなわち女神耀姫(天照大神、神功皇后、卑弥呼・・・)の母系巫女神道家系こそが、真の「姫」姓を持って現皇室・現皇統の上位に君臨する女系王統であることになります。
 現在から短く見積もっても、斎王制度が終焉を迎えた頃には、本来は斎王の上に立つべきでない現皇統が上に立って、以後千年間は、皇室神道(とその斎の巫女たるべき神宮祭主や内掌典)は真の巫女神道を継承していないことになります。
 そうなると、内掌典は、宮中で何の意味のない物体(宮中が追い出した天照大神を祀る伊勢神宮の八咫鏡の、さらにそのコピー)を護っているのではないかという極論になってしまいます。

 それにしても、もっぱら斎王が詠んだ和歌の情趣という立場から申しますと、斎王になって初斎院や野宮で暮らす時期や、伊勢に向かう道中や、伊勢において斎王が多くの侍女に囲まれて詠んだ歌には、それはそれで深い悲哀とささやかな微笑があるのです。そういった巫女神道の哀しき美を思うと、「卑弥呼も神功皇后も天照大神も同一の女神耀姫であって、天日矛の子孫であり、現在の日の巫女の一族のみがその正統であり、古くは高句麗=高天原に端を発する」という旨の、カントやヘーゲル並みの神概念の導入のような、イレギュラーの全く存在しない一直線的解釈から、真の斎王・巫女神道史観が生まれ出るものかどうか、にわかには信じがたく、驚きを持って見ています。

 私は、斎の巫女には、ここの皆様がお持ちのような「ごく一般の人々に対する真摯な優しさと、心から貧富の差を縮め災害を鎮めようともがく託宣精神」が必要だと思っています。
 上記ページにもあるように、秦氏に所属する商人や職人を一手に束ねて経済的にも圧倒的な優勢を誇っていた自分たちの一族に、無作法を働いた天皇一味が頭を下げ衣服まで献上したといった伝承、すなわち、ご一族への富の集中がその巫女神道の正当性と現皇統の不当性の結果であるとのご見解を、ご一族が盛んに主張されている現状を拝見しますと、天皇が二千年前にこのご一族の先祖の方々にはたらいたとされるその無作法が本当に存在したのかを冷静に考えることが、目下適切な神道史観、妥当な歴史学的態度かと私は思います。

 ただし、私としては、『記紀』の創作理念が、悪く言えば虚構と脚色の書、よく言えば扶余・高句麗・百済、そして大和朝廷側からの大陸(唐、新羅)対策としての書だったのと同様、耀姫様のご一族を含めた古代吉備の巫女神道についても、虚構・脚色と史実との区別といった安易な二元論から超然としてとらえたいと思います。
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