2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(12) 天孫系巫女神道の秘儀・秘伝化および皇室神道や皇別・天神系巫女神道との別れ

天孫系巫女神道の秘儀・秘伝化および皇室神道や皇別・天神系巫女神道との別れ
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
神代の巫女 --- 2013年1月26日

 このご一族の言い分をすべて史実とすると、岩崎様のおっしゃるとおりになると思います。簡単に言いますと、神武天皇から今上陛下までの125代分の天皇のうち、初期の数名の天皇(この皇別のご一族、すなわち、多氏系息長氏が誕生したときまで)を除くすべての天皇が正当性を否定されるべきものであると、私たちには読めます。現皇統と血縁関係が見出せない神別系巫女神道家の私たちからすると、耀姫様ほかご一族のご見解はあまりにも驚かされるご見解です。

 一部だけ取り上げますが、一応、先ほどの耀姫様の記事から、私たちと共通認識と思われる内容を挙げてみます。耀姫様のご一族に遺る伝承は、かなり多くの学者の間でオカルト扱いされているようですが、耀姫様も、日ユ同祖論を否定して、古代オリエント・イスラエルの多神教の商人たちの中には日本に渡った人たちもいる、という程度の適切な説明をしているあたりは、『記紀』などよりもよほど史実に忠実だとは思いますので。
 ホツマツタヱ、カタカムナ文献に対しても真っ向から否定されており、実に心地よいご発言をされる方ではあります。
 それにしても、いつからイスラエルの部分がユダヤにすり替えられるようになったのか、不思議です。私の社家で言われているのも、多神教時代のイスラエルと日本神道との共通点のことです。

「巴紋と託宣の儀式から紐解く古代日本史。(卑弥呼と天照大神の実像)」(耀姫の日記)
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100218/1266474872

「私達の一族はというと、姫姓を持つ母系の継承を行う、秦氏を束ねる太陽の巫女の家柄ですから、新政府の教部省といえども、手を触れることなど出来はしませんでした。日巫王(天照大神)の血筋とされる巫女集団に対して、身分を知っていながら下手なことを口にすれば、不敬罪を理由にその場で首を斬り落とされかねない時代です。私達の一族は、平安京建設の頃からの史料を見れば明らかなように、一族の長として表向きは男子を立てますが、長の地位の男系の継承を認めず、朝廷や重臣達を経済的に後ろから援助しても、権力中枢からは一定の距離を置いて、くだらない政権争いなどに巻き込まれないようにしながら、代々古い文化を伝承してきました。ヤマト王権が成立した時代の、日の巫女の一族と皇室の関係は、江戸時代で言えば、皇室と将軍の関係みたいなものだったようです。」

 この論は、私たちの家系と似た経緯を辿っていますし、的確な指摘と思います。

「それ以前の問題として、古い時代から皇室は仏教徒化して古い伝統を失っていったので、日の巫女の一族から、かなり低い評価を受けていたようです。」

 皇室の仏教徒化がそのまま皇室神道の衰退と同義となるとは限りませんが、耀姫様としては、仏教色に染まる皇室と巫女神道との決別がかなり早期に始まったとのご見解をお持ちのようです。

「日本書紀では、天皇の威信に傷が付かないように配慮されていますが、古事記には起こった出来事がそのまま載せられているケースもあるようです。」

 この一文も、母系巫女社会ではよくある見方ですので、不自然ではないです。このあとの部分は、岩崎様がおっしゃったとおりです。

「今では、一般の神社の神事で見られる巫女舞は、奉納を目的とした舞がほとんどです。託宣の舞の旋回の動きを知る人は減ってしまっています。」

 このような、巫女神道の現状についての懸念はそのとおりで、私たちのこれまでの議論と重なるかと思います。

「じつは、私達の一族の代々の日の巫女のなかには、中国側の文献では卑弥呼(日巫王 ピミヲ)と呼ばれた、古代の日本を代表するような有名人が含まれています。日本書紀の編纂者達は、過去に、中国の王室から臣下に近い扱いを受けていたとされる卑弥呼が、当時伝承されていた神話に登場する天照大神(女神)であることは、ほぼ間違いないと認識していたものの、中国王室と対等な外交関係を築くためには、日本の歴史を中国と同じぐらい古く見せかける必要があると考えたようです。そこで創作したのが、紀元前600年頃を想定した神代の時代の神話に登場する天照大神だったようです。万が一にも、天照大神と卑弥呼が同一の存在と看破されたとしても、天照大神よりも古い神々がいるかのように神話を組み立てたりと、あらゆる逃げの工夫を凝らしているように見えます。また、中国王室と日本の皇室が対等な外交をするうえで、皇室の祖先が中国の王室に対して臣下の礼を取っていた歴史があるという認識を、中国王室側に持たれては困ると考えていたようです。そこで、鬼道を用いて人心を惑わしたとか、魏の王室から鏡を贈られたり軍事援助も受けていたとされる、卑弥呼に言及することを、日本書紀のなかでは徹底して避けて、そんな人物は知らないかのような態度を取っています。その代わりに神功皇后という架空の人物を創作して、妊娠しているにもかかわらず朝鮮半島に出兵したといった、四世紀後半〜五世紀初の出来事を、邪馬台国の時代に百年ほど時間をずらして、不自然な事績を創作していったようです。同様の発想で、中国王朝に臣下の礼を取った倭の五王についても、記紀はこれを天皇とは認めない姿勢を貫いているようです。また、日本の天皇の歴史を中国と同じぐらい古く見せるために、卑弥呼と敵対する狗奴国の男王スサノオの間に起こった出来事を、神話の時代に高句麗国から伝わってきた太陽神の神話と絡めて、紀元前の日本に神代の時代があったかのような神話を創作していったようです。」

 このあたりも、細かな点を見れば疑問はありますが、論調としてはおかしくはないと感じます。

「卑弥呼と台与が合祀された亀山古墳に、天照大神を極秘裏に祭ることを余儀なくされた原因のひとつは、伊勢神宮の時の斎宮と持統天皇が、皇位継承者を巡る争いで、深刻な対立状態に陥ったことが原因だったようです。創建されたばかりの伊勢神宮内宮の、斎宮制度の正式立ち上げに失敗して、天照大神をまともに祭祀出来ない状況に陥ったらしいのです。」

 このあたりは、岩崎様やつくりつくり姫さんの和歌関連の視点(斎宮歌壇の成立と消滅)とも重なりますね。

「以上の観察から、私耀姫の視点から見ると、卑弥呼と神功皇后と天照大神(の女神部分)は、同一人物ということになるのです。今は存在しない、古い時代の高句麗語と高句麗道教の世界独特の概念や漢字用法を詳しく知る人物でなければ、謎解き出来ないように巧みに偽装されている意図は明らかでしょう。」
「故老からの伝承(代々伝わるお爺さんお婆さんの昔話)によると、現在の天皇家を作ったのは蘇我氏で、その経済支援団体が秦氏で、一族の長の男子の世襲を認めない、古い体質を持っていた秦氏を精神的に束ねていたのが、斎女の一族だったようです。明治になって、白川伯王家が宮中から追放されて(断絶というのは対外向けのお話で、今もあの家は残ってますよね)私達の一族は、皇室と宗教上の接点を失くしたらしいので、今では身内以外にほとんど知る人がいなくなった昔話を交えて書いてみました。」

 このあたりは、日の巫女の一族側の説という感じもありますが、この前の岩崎様の言語学的視点からのご説明を聞いて、あながち軽視できなくなってきたのも確かです。やはり、明治新政府による巫女神道の断罪(巫女禁断令など)や白川伯王家の追放(天皇と、天照大神の神託を司る女系社家=日の巫女の斎皇家?の分断)の影響を少しでも受けた私たちとしては、興味深いものではあります。


つくりつくり姫 --- 2013年1月28日

 下記の有木巨智麿氏も、耀姫様とそのご一族の伝承について、やや誇張をお感じになりつつも、古代吉備王国発祥のヒントは見出しておられるようです。
 吉備津神社の神主は、代々吉備津彦命の子孫が世襲していたものの、途絶えたので、有木氏が世襲するようになっています。ちなみに私は、有木神社にもよく参りました。

「173の鏡に映る神と宇宙」有木巨智麿
http://catbirdtt.web.fc2.com/zikosyoukai.html

 耀姫様は、「耀姫」、「天照耀姫(あまてるあかるひめ)」、「日の巫女の王」、「皇祖神日巫王」など色々と名乗っていらっしゃり、また、一族についても、「日の巫女の一族」、「秦氏を束ねる太陽の巫女の家柄」、「多氏」、「多氏大王家」、「息長氏」、「息長斎皇家」などさまざまに名乗っていらっしゃいますが、かなり精査は必要だと思います。

 例えば、耀姫様の視点では、仏教色や儒教色に染まった吉田神道よりも、伯家神道を評価する神道史観は出てくるでしょうけれど、そう評価すればするほど、白川伯王家は神仏習合血統である皇統の、花山天皇の子孫の男王家系にすぎないことが目立つわけです。私たち神別氏族系の巫女神道から見ると、やはり皇別氏族系の巫女神道は、皇室神道と蜜月であるどころか、当時の息長氏始祖は皇族であり、一族は真人(まひと)であり、現在まで広義の皇室神道の一角であることに変わりはないわけです。
 白川伯王家は、すでに近世期に吉田神道家の陰に隠れていて、とどめとして近代に宮中から追放されましたが、皇室に対して伯王家よりも(アカルヒメの託宣によって、耀姫様の文体並みに圧倒的に強い口調で)物が言えるはずのこの一族が、中継ぎ役だった白川伯王家の追放のあおりを受けて皇室との縁が切れる、という弱々しすぎる結末となっています。

 この点などは逆に、実はもっと早くから皇室と皇別氏族系の巫女神道との縁はなかったと見たほうがよいという立場もあり得ると思います。少なくとも『新撰姓氏録』で分けて記録されている皇別、神別、諸蕃を、全部ひとまとめに扱っていらっしゃるところがあり、そのあたりの整合性についての言及がないといった点は見受けられるようです。
 つまり、耀姫様が継承されている皇別の巫女神道が、私たちの神別の巫女神道に近いものなのか、皇室神道に近いものなのか、まだよく判別できていません。

 それでも、耀姫様の力強い、剛胆とも感じられる巫女神道の解釈は、当代の『記紀』作者が見れば焦ってしまうような、歴史の神髄を突いているところはあると思います。


岩崎純一 --- 2013年2月2日

 耀姫様が多氏系列の子孫である(とされる)息長氏の斎の巫女でいらっしゃるとの伝承は、それはそれで正確であると仮定しても、そもそもつくりつくり姫様のおっしゃる通り、極めて古い原理的な渡来系巫女神道の観点から見れば見るほど、日の巫女の家系とて皇統(皇別氏族)の一派であることが目立つという点は、私にとっても興味深いのです。
 そうかと言って、天照大神よりも前の神代七代や造化の三神の時代に遡っていくと、今度は当然、皇別系巫女神道の伝承(耀姫様がお書きになっているような伝承)がパタリと姿を消す一方、皆様のような神別系巫女神道の伝承が残り、こちらのほうが日本列島土着のアニミズムと直結している可能性が見えてくるわけです。

 こうしてみると、皇別系巫女神道が、太陽信仰を中心とする渡来系のものであること(無論、大陸に渡ったあと里帰りした縄文系の人々の巫女神道である可能性はある)、現皇統や天照大神、『記紀』そのものが、本当に人工的に設定・創造されて生まれたものであることが、よく分かります。

 それにしても、耀姫様ほか日の巫女の一族のご主張によれば、天皇でさえ、日の巫女の一族に頭を下げるほかなかった(現在でも頭を下げるほかない)わけです。雄略天皇の時代から、あまりにも天皇が無礼であるから日の巫女の先祖が首を切ってやろうかと思ったらしいなどと公表なさっているわけです。
 それならば、なぜその混乱期に、ここの皆様のような神別氏族の斎の巫女たちの先祖が、自分たちよりも圧倒的に身分が高い日の巫女の一族にひれ伏し、その天皇観に追従し、現皇統の欺瞞性に怒らなかったのか。そこまでの無礼者血統、誤った男系男子家系、巫女神道破壊者であるはずの現皇統に対し、反旗を翻さなかったのか。あるいは、皇統も皇別神道も見限って、神別氏族から新しい巫女皇統・巫女王統を出さなかったか、ひいては、神別氏族の男性神官たちが別の『記紀』を捏造して別の皇統・王統を建てることを考えなかったかという原理的な問題が残るのです。『新撰姓氏録』以前から、皇別、神別の意識は存在したようですからね。

 つまり、ここの皆様の斎の巫女の家系は、どうして皇統や斎王・斎皇(天照大神、神功皇后、卑弥呼・・・)自体になれなかったのか、その秘密を日の巫女の一族が握っているのではないか、明確に言うならば、現皇統は日の巫女のご一族が非難するほど無礼者の血筋ではないのではないか、実は日の巫女の一族は、巫女神道の伝承者というよりも、それ自体が誰も逆らうことのできない時の政治権力者であったのではないか、という壮大なテーマです。
 注目点は、天照大神を降ろして天皇に都合の悪い託宣(天皇の死や病)ばかりを告げ、最後は天皇・宮中自身をして天照大神を追放させるに至らしめた、そんな最も畏怖された日の巫女の一族とて、広義には皇族の内部の人間であり、実は『記紀』の外に飛び出る(天皇に楯突く)ことは不可能であるのだから、ここの皆様の神別氏族の巫女神道が単独行動で天皇に楯突くチャンスであったのに、楯突いていない、という点です。ということは、日の巫女の王家は、神別氏族系巫女神道を、巫女神道上の問題とは無関係に、政治的に押さえつけていたと見るのが妥当だと考えられます。
 しまいには、神別天神氏族の最高権威の藤原氏が、天皇と外戚関係を結んで、れっきとした巫女神道(斎宮)の凋落と現皇統の安定がもたらされるわけです。

 ただし、息長氏が長期に渡って播磨・吉備を本拠とした豪族だったことは、私も間違いないと思います。
 いずれにせよ、スサノヲが本来の初代天皇であるといった、耀姫様(日の巫女の一族)の巫女神道史観の全ての内容を肯定した場合、現皇統はほとんど初期から血統が間違っていたことにならざるを得ませんが、真偽のほどは別にして、私個人の考察や神道史観にとっても興味深い影響を与えていることは確かです。
 耀姫様に受け継がれている伝承が、どこかでご先祖・古老の虚構や脚色を挟んだものであったとしても、それはそれで、「現代は、皇室神道や神社神道の精神(もはや精神ではない)と巫女神道の精神が相容れない時代であると私は考える。ただしそれは、天皇陛下個人や皇室への私個人の崇敬の念とは無関係の、神道精神上の見解である」という私の思いを、部分的には代弁して下さってはいるからです。

 そのほかに興味深い点は、耀姫様は、斎宮制度によって男王を補助するような比売許曽(ヒメコソ)の巫女集団が、アマテラスとスサノヲの時代から実在していて、アカルヒメこと真の斎宮がその天照大神のモデルとなったものの、スサノヲを超えて殊更に上位として扱われる立場ではなかったとしている点です。
 また、過去の信仰実績が確認できない、『記紀』神話の女神天照は、侵略してくるおそれのある唐に対して大和朝廷の歴史を古く大きく見せかけようとして創作された神代の女神である、との認識、すなわち、藤原不比等らが権力を持った当時の朝廷が、日本人を騙して嘘の神道で精神支配しようとしたのではないとする点も、私と同じ神道史観です。
 中華思想の大国である唐を模範としつつ、それに対抗して別の律令制と国防体制を敷こうとする日本における、このような古代の一大宗教改革について、当時の日の巫女と、それに賛同する秦氏などの氏子が容認したという展開は、十分に考えられるところです。

 耀姫様の、「卑弥呼と神功皇后と天照大神(の女神部分)は、同一人物」であり、現在においてそれは「私」であるとする見解も、ある意味で、数奇な運命を辿ってきた皇別系巫女神道が生み出した、究極の神託なのかもしれません。


吉備の斎の巫女 --- 2013年2月3日

 それはおっしゃるとおりで、神別氏族(天孫・地祇の血が濃い)の私たちの社家が、『記紀』やのちの『新撰姓氏録』に対抗して、ゼロから皇統を立ち上げるという可能性も、理論上はあったはずです。

 そうならなかった原因として、注意点すべき点は、同じ「天孫」でも、『記紀』の天孫降臨・天孫族における「天孫」から、『新撰姓氏録』の天孫氏族における「天孫」まで、かなりの格下げが見られる点です。神武皇統も、広義の天孫の一系統ですが、皇別氏族はもちろん独立した特別扱いですし、天照大神直系の天孫が、天孫降臨時の付き添いの神々の子孫よりも下位に置かれます。
 もちろん、これは藤原氏の策略でもあったはずです。藤原氏の祖先は、神功皇后の審神者(さにわ)であり、息長斎皇家(日の巫女の王)に仕え、その天照大神の神託を天皇に伝える立場であったため、皇別系の巫女神道にはひれ伏していたようですが、天孫氏族に対しては強い態度に出るようになり、今度は天皇・皇別氏族・日の巫女の一族側に立って、天孫系の巫女神道の排除に取りかかったのだと思います。
 藤原氏一族は一時期、心の中で「自分たちは、天皇も、日の巫女の王も超えた」と何度も思ったと思います。
 おそらく、私たちの社家の祖先は、皇統、そして皇別氏族に楯突こうとしたとしても、藤原氏を中心とする天神氏族の台頭と、それらの皇統との蜜月関係の発展により、神別系の巫女神道としての統一的な斎の王統・斎宮の整備などが間に合わなかったと考えられます。

 ところが、私たちも、その藤原氏の血を引くとされているのです。平安時代や室町時代にも、また『記紀』時代と同じようなことが起きて、私たち神別天孫系かつ藤原氏の末端の分家の巫女神道が、耀姫様のような皇別直系の巫女神道からだけでなく、天神系や天孫系本流の巫女神道からも離れていったと考えられます。
 そして、最終的には、これまでにも触れましたように、国家神道の成立と伯家神道の没落によって、私たちは皇室神道や皇別系の巫女神道とほぼ全ての縁を切られてしまい、そのうちに心地よい諦めがつくようになり、巫女舞や神託をとことん秘儀・秘伝化した現在の形になったと考えています。

 以上がすべて正しいとしますと、今、私たちのような天孫・地祇系の巫女神道には、三系統以上の上位の巫女神道が存在することになります(現皇統・宮中三殿の内掌典の系統、皇別系の日の巫女の斎王=斎皇の系統、藤原氏本流の天神系巫女神道)。あるいは、もっと多く存在するでしょうね。


岩崎純一 --- 2013年2月6日

 ここの皆様の視点をお借りしますと、そういった皇別氏族系(多氏・息長氏)の日の巫女の家その他の社家は、なおさら現皇統(巫女神道色が薄れつつあった皇室神道)に近いお立場だったということがよく分かります。さらにそこに、天神氏族藤原氏の台頭が影響し、皇室神道と皇別系の巫女神道に天神氏族系の巫女神道が加わった三つ巴の神道勢力が出来上がり、天孫・地祇氏族系の巫女神道が大和朝廷以外の地に残っていったという構図なのでしょう。

 そうなると、今現在は巫女神道色(強いて言えば、天照大神を初めとする八百万の神々)を捨てている皇室神道や多くの皇別氏族系神道や神別天神系の神道から最も遠い道を歩んでいる巫女神道は、皆様のような神別天孫・地祇系の巫女神道ではないかとさえ思えますが、それも、『記紀』の時代だけではなく、それ以降の時代にも行われてきた体制側からの巫女神道の追放策の影響であり、一筋縄ではいかないとなると、私などはもう気が遠くなります。

 これからの時代に必要なのは、男系男子を中心とする現皇室や皇別系・天神系の神社神道、女系女子が一族の実験を握る皇別系巫女神道(ほぼ日の巫女の王の一族のこと)は、それはそれで残った上で、一方でそれらの中から、女系女子が担ってきた非政治的な祭祀・神事を基本とする巫女神道色を取り出し、ここの皆様のような天孫・地祇系の巫女神道と共にその色彩を遺していくことだと、私は考えます。
 それも、神職男性が神前で祝詞を唱え一定の所作を行う祭祀を中心とする神道の中にある巫女文化としてではなく、神楽を舞う巫女の身体それ自体が八百万の神々と一体化するアニミズム精神が無言のドグマであるような巫女文化として遺ることが望ましいと、私は思います。
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