2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(13) ホトをめぐる秘儀と現代日本社会

ホトをめぐる秘儀と現代日本社会
----------
【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
----------
巫女神道
神代の巫女 --- 2013年2月13日

 何はともあれ、耀姫様は、イスラム原理主義と同じような神道原理主義を唱えることは意図していないと宣言なさっている点だけ見ても、とりあえず現状では、安心して拝見していられる巫女神道の継承者ではあると思います。

 岩崎様がお持ちの、自然現象(地震、台風など)を察知できたり女性の身体現象を察知できたりする共感覚(対女性共感覚)についても、耀姫様の神道史観は参考になると思います。耀姫様も、合気道の達人でいらっしゃり、岩崎様と同じく男覡(おかんなぎ)と言える修験者の男衆の方々も間近で見ておられます。

 日本神話では(私たちの社家に伝わる神話でも)、「ホト(女陰)を箸で突いて死んだ」というパターンは定番ですが、耀姫様が巫女神道側からの見解をお示しになっています。ここは一つ、皇別巫女神道と神別巫女神道という区別を超えて、ホト(女陰、火陰、火戸、火門・・・)をめぐる伝説について考えてみたいです。

「日本神話で「ほと」を突いて死ぬ女が何人かいましたが、古代には本当にそんな死に方があったんですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1095321700

 耀姫様のご回答

「高句麗でも大和の地でも、隧穴を豊穣を司る大地母神(現在の豊受大神)のホトに見立てて、これを隧神の男性のシンボルを象徴する箸(丸い木の棒)で突く神事が行われていました。ところが時代が下ってくると、しだいに現代の新嘗祭に近い豊穣祭の姿に移り変わって行ったため、「ホトを箸で突く」のが、翌年の多産(五穀豊穣)を祈願して行う神事だったことが、分からなくなっていってしまったらしいのです。昔の皇室神道は、巫女が託宣することを中心とした、女性継承の巫女神道でした。ところが、中国の影響で男性上位の発想が生まれた結果、男性が神前で神を敬う所作を行う祭祀が中心の神道へと変化していき、かろうじて斎宮制度は残ったものの、他の巫女達は祭祀の中心から排除されていったのです。その過程で、ホトを突く神事の意味も見失われていったと思われます。」

「ホト(女陰)を箸で突いて死んだ」というのは、「ホトに(今の食事で使うような)箸が刺さって死んだ」のではなく、「ホト(に見立てた隧穴など)を箸(丸い木の棒)で突く、穀母神を祀って豊穣を祈る儀式で死んだ(と創作した)」ということですね。多くの日本人が間違えているのを目にしますが。


吉備の斎の巫女 --- 2013年2月16日

 私たちの社家でも、ホト(女性器)に見立てた隧穴・洞穴を祀る東盟祭に似た神事を継承しています。これには大まかに二種類あり、一つは隧穴・洞穴をホトに見立てた神事、もう一つは私たちのそれ自体を使用する神事です。後者の秘儀については、内掌典はもうまったく執り行っていないと思います。

 私たちの社家に伝わるホトの秘儀には、色々なものがありますが、例えば「百襲比賣命(ももそひめ)」にまつわるものがあります。この女神は、吉備津神社、吉備津彦神社、岡山神社でも祀られていますが、香川県東かがわ市の水主神社にも同じ伝承があるようです。
 伝承内容としては、
「モモソヒメは、ホトの形が異様で、毛も大変長かったため、親神が恥じて、モモソヒメを木舟に乗せて海に流した。何度も浜や島に流れ着いては、ホトの異様さを恐れた村民たちに舟を押されて沖へ戻され、やっと辿り着いたのが水主村であり、やがて祭神として祀られた。」
 というものです。

 私たちの秘儀も、こういった伝承にまつわるものになっています。私は、木舟には乗りませんが、それを模した儀式です。
 カグツチ(火産霊)を踏んでホトにやけどを負ったイザナミの尿から生まれたとされるミヅハノメについても、その陰毛や頭髪とされるものを「神毛」として桶や箱に入れて納めている神社がありました。たいていは一本だけ入れるもので、弥都波能売神社には、今でもあるかもしれません。神意の荒ぶるときは何股にも毛が分かれて伸び、桶からはみ出るとされる一方、神意の穏やかなときは元の長さの一本に戻るとされ、ホト、陰毛、頭髪が呪術に用いられていたことがうかがい知れます。


岩崎純一 --- 2013年2月17日

 このような神話・伝承を、女性(巫女)たちがどのように伝承し、それらに男性たちがどのように関わってきたか、深い関心を持って見ています。
 耀姫様の神道史観に基づけば、多産豊穣祈願の祭祀で、斎の巫女の儀式そのものだった高句麗の東盟祭や日本の隧穴の祭祀を、当時の男性神官、後世の我々男性が、「ホトに箸が刺さって死んだ」ことにし(男性視点からの笑い話に作り替え)、そのまま神道の正統を母系の巫女神道から父系の皇室神道へと持って行った、ということになるかと思います。巫女神道のホト信仰や斎宮の雰囲気が、男性作者らの手によって、気がついてみれば今日の新嘗祭のようになったという流れかと思います。

 確かにそのような側面もあるかもしれませんが、唐の侵略のおそれへの対策として日本の神代を古く大きく見せるために『記紀』以降の史書を創作するに当たり、男系男子の皇室神道の正当性を標榜する記述と同時に、ホト・陰毛の信仰を中心とする女神の身体の崇め方を変える記述も行われたという点には、面白さや諧謔だけの男尊女卑の思想ではなく、かなりの致し方なさや深刻さを、私は感じます。
 現代の我々の目には、『記紀』におけるホト信仰の作り替えが男性視点からの女性蔑視の文学に思えるでしょうが、当時の男女の身体観念は、現代感覚からは程遠い(皆様が男覡であると見て下さる私からさえも程遠い)でしょうし、ホト信仰とホトの儀式をわざわざ国史に書くということには、男女双方にとってもっと深刻な面もあったかと推察します。

 もちろん、いくらご紹介したような共感覚、女性の身体への察知能力を私が持っているとはいえ、現代人男性の一人としての感覚からしますと、現代において『記紀』を深く語る際には、女性蔑視や巫女神道の軽視という意味ではなく、倫理道徳的な観点という意味で、どこかの時点でお笑いに持って行かなければ、かえって扱いにくい気がします。そもそも、皆様のようなホトの秘儀の光景には、よほど例外的な倫理観を持っていない限り、私に限らず、ほとんどの男性(というより、ほとんどの氏子・国民の男女)が耐えられないと思いますので。


つくりつくり姫 --- 2013年2月21日

 女性の生理現象・性行動との兼ね合いという意味では、内掌典のほうが相当厳しいご生活だと思いますし、私たちよりも「清」と「次」の区別が二元的で、西洋的思考がずいぶん入っていると思います。「まけ」については、厳然と「穢れ」であるとの意識がありますし、絶対に賢所に持ち込んではならないのです。「清」の手で「次」の乱れた裾を直そうものなら、もうアウトで、すぐにお着替えです。
 一方で、私たちの場合、磐座・神座に誤って少し持ち込んだところで、浄化可能という感覚も持ち合わせています。アニミズム感覚は、こちらのほうが保っていると感じています。私たちは、御饌から虫の糞までもが、すべてつながっていると考えますので。ただ、私たちの秘儀は、安易に一般の方々や海外に紹介できるようなものではないですし(紹介したくないというより、とくにキリスト教徒の方々から誤解されるおそれがあります)、紹介しやすいのは現在の天皇陛下・ご皇族の親しみやすさや宮中の現代的祭祀のほうであるのは確かだと思います。

 巫女の処女性・純潔性と、ホトや陰毛、尿にまつわる私たちの秘儀の中は、奉納の意識というよりは(これらを男神に捧げるのではなく)、それ自体が呪力を持ち、畏怖すべき神であるという意識が強いです。巫女自身が神懸りして神となるので、男性からの視線に押し負けて、史記のネタとして捧げるというような感覚は一度も持ったことがありません。


神代の巫女 --- 2013年2月23日

 ホト自体が神性を帯びるということですね。私たちの場合も、「まけ」を穢れとする風習はありますが、男性たちが汚いと言ったからそう思っているわけではないです。巫女舞や託宣の上で、必要な観念だと感じています。

 内掌典の近代的・西洋的な二元性は、先にお話に出ました高谷朝子様へのインタビュー番組のように、国民向けの神道の説明に基づく国民側からの誤解によって生まれたものとも言えるかもしれません。
 内掌典の秘儀そのものは、実際に自己催眠(転換性や憑依型の変性意識状態)をもはや起こせなくなっているとしても、多くの内掌典ご経験者の方々は、巫女神道の根底に流れる東アジアのシャーマニズムを理解していらっしゃると考えてよいと思います。


吉備の斎の巫女 --- 2013年2月25日

 ミヅハノメ伝説でも、ホトの毛一本を桶に入れるだけでなく、神が荒ぶると八岐大蛇のように分かれて伸びるというものですからね。もし男性視点で生み出された伝説であるなら、ホトに対する恐怖・畏怖を呼び起こす部分はカットされて、男衆たちが桶のホトの毛を見下ろして笑う、というような伝承が優先的に遺るはずです。

 私たちの家には、「七難の揃毛(そそげ)」という話と、それにまつわる秘事も伝わっていて、これも先ほどの百襲比賣命のホトの異形伝説とつながりがありそうなのですが、この伝承も、むしろ女神や巫女が長い毛を誇って見せたなど、自虐的な笑いの要素のほうが強い内容になっています。
 もちろん、天岩戸伝説なども、笑いの要素が強いですが、これも女神が自分から出てきて踊り、周囲が爆笑したという設定です。それに、その前に天の機織り女の一人の陰部に梭(ひ)が刺さって死んでしまいますが、これも、「刺さった」というよりは、天照大神とその機織り女たちのホトの儀式の最中に、スサノヲが邪魔をして女神たちの手元が狂ったという面があるのです。スサノヲが性的に荒々しくて機織り女を襲ったといったものではないですね。

 巫女神道のホトの儀式に対して、男神・男性が手を出せない、邪魔をすると地震・雷などの禍(まが)が起きて大変なことになるという認識、下手をするとヒトが火を噴くというような認識は、まだ『記紀』作者たちにもあったかと思います。いくら万葉仮名とは言っても、「火陰」、「火戸」、「火門」などの当て字はその畏怖の感情をよく表していると思います。


岩崎純一 --- 2013年2月17日

 私も、内掌典のご生活における「清」と「次」の厳然たる区別には、非神道的・非アニミズム的・非汎神論的な違和感を覚えてきましたし、高谷朝子様の神道観にも如実にそれを感じてきたのですが、皆様のご意見を伺って、かなり謎が解けたような気がします。

 最初は、マスコミなどの手によって内掌典などの巫女生活が詮索され、日本最後の秘伝生活のように取り上げられて、テレビなどで国民に紹介されるものの、今度はそれが災いして、いつのまにか宮中側の深層意識の中に「マスコミや国民や海外にも分かりやすく説明しやすい皇室神道」を模索する方針が芽生え、そういう神道を設計するようになり、結果的に、ここの皆様のような非皇室神道系の斎の巫女神道と違って西洋的・現代的性質を帯びるようになった、ということなのかもしれません。

 そう考えると、隧穴・洞穴を利用する東盟祭や日の巫女のご一族の祭祀にせよ、中山太郎が記録したような実際のホトを使用する祭祀にせよ、内掌典と皆様のような斎の巫女との間でホトをめぐる秘儀全般についての意識が異なってきている理由も、つかめてきたような気がします。
 あるいは、先にお書きになっている通り、内掌典が司る祭祀には、ホト自体を用いる秘儀自体が存在していないでしょうし、自らの身体に対する倫理観念は、むしろ一般の女子学生の巫女の方々に近いのかも知れないと思います。
 ホトを用いず、代わりにホトに見立てた凹み部分や窪地を用いるその他の祭祀についても、やはり祭祀の奉納の意識、巫女のホト・処女性を捧げるという意識が強いと思います。ホト自体もまたアニミズムの対象であり、ホト自体が神性を帯びるとする皆様の秘儀とは、相違が生じてきているのを実感します。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/180526252

この記事へのトラックバック