2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(10) 岡山の神道系新宗教の隆盛

岡山の神道系新宗教の隆盛
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
岩崎純一 --- 2012年12月5日

 また後日書きますと述べていたことが以下です。以前にも何度かお話しさせていただきましたが。

 私が目下、吉備の神道について不安視しているのは、今でも岡山の由緒ある神社神道系の社家の中に、巫女に限らず宮司や禰宜にも、いわゆる神道霊学、秘教神道に舵を切ったり、金光教、黒住教、ほんぶしん、神習教、天理教、大本、神道天行居などを思慕してその方向に舵を切る人が絶えないことです。
 私も以前から、金光教や黒住教のニューエイジ化・ヒーリング宗教化に言及していますが、神社神道本流の宮司や禰宜のニューエイジ人間化・ヒーリング宗教者化とでも呼びたい傾向も出てきていると感じます。
 ご存知の通り、前者の四宗教は岡山発祥であり、このほか岡山の新宗教、ニューエイジ系集団の勃興率の異様な高さは全国的にも珍しく、県内社家の巫女の間でも話題になると伺っていますが、岡山の土と空気(風土)がそうなっているかどうかを、それこそ皆様に神託して見ていただくまでもなく(?)、歴史がそのこと(岡山は新宗教が発生しやすい土地であること)を示しているので、悩ましいところです。
 私は、私立の中高一貫校卒ですが、一家・一族丸ごとこれらの教団の信者である同級生はたくさんいました。当然、東大に進んだ人もおります。

 国家神道と同じくらい、教派神道・神道系新教団とも関わらずに近代の神道改革を乗り切ることのできた岡山の巫女神道の社家はあるのでしょうか。ただし、神道大教や神宮教、出雲大社教は、良くも悪くもこの話題から除かれる性質のものと考えますが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月7日

 なぜ岡山における新宗教の発祥が多いのかは、それこそ死ぬ覚悟での神懸りを経ないとわからないことかもしれませんね。ただ、私の一族は、金光教や黒住教、神習教などの影響を受けずに近代を乗り切ったものと私は見ています。
 しかし、現在でも周囲はこれらの信者だらけです。金光教は、大字丸ごと信者であるところもあります。

 遡って申しますと、日本神話(『記紀』や私たちの社家に伝承される神話)の想像力・創造力に富んだ虚構性や脚色は、江戸末期の教祖個人の霊体験とはまったく異なる性質のものであると考えています。仮に前者の神話だけが創作で、後者の体験が事実だとしても、私たちの言う神道とは前者を伝承する精神のことを言うので。
 金光教については、今では信者も外部の県民も、これを神道と認識することが最も難しい教派神道系の団体だと思います。天理教やその系譜のほんぶしんなどは、自他共に認めるとおり、まったく神道ではありません。また、禊教は岡山の教派神道ではありませんが、金光教も禊教も、皮肉にも白川伯王家の後ろ盾で急成長した新宗教です。ただし、当時は金光教も神道と言えたからこそ、白川伯王家もそれを助けたのだということは言うまでもありません。

 ただ、吉備地方の遺跡群や、私たちの社家に秘伝・埋蔵されている文物なども、『記紀』の記述の反証となる(つまり、『記紀』の捏造性を証明してしまう)ものが含まれますし、国学・近代化の時代以降は、発掘・研究禁止も指示されました。このようなことから、岡山という土地は、「新教団を立ち上げて、(事実上)既成神道に反逆せよ」との天命を自分個人が受けたという神託体験を捏造する教祖・神職や詐称教団を生み出しやすく、また、明治以降の国家神道などの国策に対する反骨精神の残存もあって、そのような教祖・教団を町民・村民レベルで継続的に信仰しがちな土地柄ということはあるかと思います。

 ちなみに、私の社家は、国家神道の影響も直接的にはあまり受けていませんが、間接的に受けています。以前も触れましたが、新政府による神道国教化や国家神道構築の動きで白川伯王家が没落したため、皇室神道(内掌典、斎皇女)と私たちのような原始巫女神道(斎の巫女)との関係が完全にとだえるという結果になりました。


岩崎純一 --- 2012年12月9日

 神託体験を捏造する教祖・神職や詐称教団を生み出しやすく、町民・村民側もそれらを信仰しがちな土地柄という視点は初めて聞きましたが、合点がいきました。普通は、池田光政の神仏分離政策、仏教(特に浄土真宗)への弾圧と神道・儒教の優遇などが、原因として挙げられますので。

 巫女神道への間接的な影響としては、大教宣布・神道国教化、神道事務局祭神論争、そして国家神道・教派神道制度への方針転換といった政治的混乱の影響が大きかったのでしょうね。発掘禁止の指示も、本来は、大和朝廷への古代吉備王国の貢献度や、吉備に残る斎の巫女たちの神託を、国家神道側が恐れたというのが真相ではないでしょうか。それで結局、巫女神道には神道の場からご退場いただく、巫女の神験の影響自体を神道から排除して、近代化や帝国主義戦争に使える国家道徳に神道を作り替える、という方針になったのだと思います。

 もちろん、岡山県に限らず、教派神道の教団ごとの方針(明治新政府や戦後の政府への反抗の仕方)や教派神道連合会との距離感の違いは見られます。
 しかし、例えば、人工言語(岩崎式言語体系)を制作していて言語学関係者の方々との交流のある私から申し上げますと、エスペランティストや世界連邦主義者には、戦後に教派神道連合会に加盟した大本の信者が相当数含まれます。これは、出口王仁三郎がエスペランティストだったことに起因していますが、これらの方々の一部は、「日本語や日本国を廃止して、エスペラントや世界連邦国家・政府だけを統一言語や統一国家・政府として残したとしても、日本神道を残すことは可能である。日本神道の概念は完璧にエスペラントに翻訳することができるため、祝詞をあげるのもエスペラントを使えばよい」と主張しています。
 このような主張をする大本の信者は、岡山県にも今なお多いです。これらは、一見するとニューエイジ的・近未来的な発想ではありますが、未来にも実現不可能な内容です。そして、この大本の教義にさえ不満・不足を感じてこれを脱退した友清歓真が創設した宗教結社が、神道霊学に基づくユダヤ陰謀論(ユダヤ人に対する霊的国防)を今でも唱える神道天行居です。
 これらは、私の言語観や神道観とは全く相容れないものです。

 そういえば、神懸り体験や共感覚の議論のところでも、皆様が私に合気道を勧めて下さいましたが、植芝盛平の大本入信などを見ていても、根本的なところで安っぽい印象や、ちゃちな感覚を覚えてしまう私は、今まで通り、巫女の皆様との交流や、真面目に生きていらっしゃる精神障害者や発達障害者の方々との交流、自分自身の共感覚体験などから、「合気」さえ体得できていれば、いかなる武道も宗教も私には無用だろうという考えで、現在のところは生きています。

 以前話に出た日の巫女のご一族の耀姫様の神道史観についても、真っ当であるとする人もいれば、それが史実をどこまで反映しているのか、現在の(旧)教派神道系の教団並みのニューエイジ思想にすぎないのではないか、と疑う人もいるなど、賛否両論があるようです。

 私は様々な言語学閥の動向を追っていますが、面白いことに、言語学においても、東アジアの扶余や高句麗で飢饉に苦しんだ、天日矛神を信仰する一族が、九州に渡り、吉備に辿り着いたという説は唱えられています。なぜならば、日本語自体が、扶余語や高句麗語に近いのは確実であるからで、日本語とこれらを合わせて扶余語族とする説があります。
 ただし、正統の言語学ではほとんどタブーです。一部の社家の神事(ほとんどが耀姫様のご一族の神事)で使われる、変則日本語に聞こえる「高天原言葉」なる言葉も、実質的には高句麗語の姿を残していると思われます。その後、日本列島土着の言葉にそのような渡来系の言葉が重なって「大和言葉」が成立していき、大和朝廷が誕生することになります。
 これとは反対に、日本語は南方起源だとする説に、大野晋の「日本語クレオールタミル語説」などがあります。私は、これについても極論過ぎると疑っておりますが、しかし例えば、耀姫様の言語観・日本語観において「大野の法則」などがどう受け止められているか、耀姫様のご一族の「高天原言葉」やお手元にある神典などの通時言語学的分析と耀姫様がお唱えになっている生得真理との理論的統合は成されるか、といった点に関心を持っています。

 いずれにせよ私は、「日本語は、世界的に極めて古い、多言語のハイブリッド言語」であり、「日本文明は、南北の様々な超古代文明のハイブリッド文明」というのが真相だと考えます。
 ニューエイジ化した教派神道の教導者陣による神道教育程度では、その深みと重みには耐えられないと思います。

 ともかく、神道かどうかよく分からない新宗教が興されたり、ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論の両方が展開されたりと、一部の岡山県民に見られる神道観は色々と危ないと感じる今日この頃です。


つくりつくり姫 --- 2012年12月10日

 私も岩崎様と同じく、黒住姓を先祖に持つ家ですし、私たちの場合は血のつながりもあるとされますが、ややこしい分派があって以降は関わりはありません。川崎医科大学総合医療センター、川崎学園、旭川荘など、黒住教系の施設への訪問歴はありますが、神道上の共通点があると感じたことはありません。日本会議とも関係が深いようですし、うちの一族としては、黒住教は政治・営利団体ととらえていますよ。
 黒住教は、元は朝日(初日の出)を拝む日拝の神事にアニミズム性が宿っていましたが、天照大神に万物創造主の性質を持たせて以降は、私たちの巫女神道から見れば、天理教や金光教と同じく「神道ではない新宗教」であると映っています。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月11日

 岩崎様の教派神道のニューエイジ化に対するご不満やご不安は、私たち巫女神道の立場から見ても、本当にまっとうだと感じます。宗教や、合気道などの武道へのご姿勢の徹底ぶりも、恐れ入ります。

 とくに岡山県内の私たち斎の巫女がこれから県内の教派神道や神道霊学とどう関わっていくかについては、当の私たちにも解決がついているわけではありませんし、一筋縄ではいかないと思いますので、岩崎様の神道観・文明観や言語学体系も取り入れて考えるなど、優れた個人研究者・非宗教家の方々とも議論を深めたいと考えております。
 ほぼ全てが秘伝である耀姫様のご一族の皇別系巫女神道の「高天原言葉」などは、正体不明である以上、分析のしようがないので別にして、先ほどの大本のエスペランティストの方々の言語論や神道天行居のユダヤ陰謀論よりも、岩崎様の『大全』や言語論のほうが、よほど神道の本質を語っていらっしゃると思っていますので。

 ちなみに、金光教や黒住教の信者にも、エスペランティストは多く、共産主義者も多いですし、日本語廃止論者や世界連邦国家論者も見かけます。大本の主張とほとんど区別はつきません。日本語を廃止して世界統一言語(エスペラント)だけを用いるようにしても日本神道を世に残せるという、これらの方々の信念は、天照大神や天皇を宇宙万物の創造主とする一神教思想からしか出ませんので、従って、私たちからすれば神道とは認めがたいです。
 私たち巫女神道において、天照大神も天皇も万物創造主ではあり得ないのは当たり前のことですので。
 戦前は、大本を中心に、教派神道信者の軍人も多かったですし、金光教や黒住教にも軍人の信者が多くいましたが、一神教的な天皇教は、そもそも神道、巫女神道とは相容れないのです。


神代の巫女 --- 2012年12月14日

 教派神道については、少なくとも岩崎様が挙げておられる岡山県内の教派神道系新教集団は、私たち斎の巫女の伝承とは無縁のものと思っておりますので、関わりそのものがございません。教派神道系と言っても、様相がまったく違いますし、天理教とその分派は、私は神道でさえないと考えておりますので。
 結局のところ、黒住教の発祥のきっかけである黒住宗忠の天命直授や、金光教の発祥のきっかけである金光大神の立教神伝が、古代吉備王国時代からの神事を伝承する私たち斎女の「神懸り」と同じ(科学者が一応説明できている)合同感覚的な自己催眠だったかどうかを、タイムマシンで過去に戻って検証しなければ、それらの宗教を神道と称することも不自然だと思います。
 日ユ同祖論も、日本の神道とつながるのは、ユダヤ一神教ではなく、それ以前の古代エジプト・オリエントの多神教世界だと思っていますので、私としては関わっていません。

 言葉はとても悪いですが、私たちの巫女神道は、いろいろな教派神道系教団やオカルト科学とは今後も無縁でありたいと願っています。


岩崎純一 --- 2012年12月16日

 つまりは、成立過程にニューエイジ性が伴っていないことが明らかである神道大教や出雲大社教は別にして、とりわけ岡山発祥の教派神道系宗教は、神道であるかどうかを再確認しないとどうしようもないようですね。私も、かなり幼い頃から、これらのどこが神道なのかよく分からないという思いで見てきました。

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(9) 宮中祭祀と巫女神道との距離感

宮中祭祀と巫女神道との距離感
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岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
神代の巫女 --- 2012年11月17日

 かねがね聞き及ぶところですと、今は内掌典は、年齢層は私たちと同じ10〜20代の子女たちも多いですが、私たち地方の社家よりももっとローテーションが速い数年交代制になっているようですね。生涯を内掌典に捧げる女性は、テレビに登場した高谷朝子様の例あたりから減っています。この方の頃から、実際に内掌典の脳や身体では転換性、身体化に該当する知覚融合体験は起きなくなった可能性もあります。


つくりつくり姫 --- 2012年11月18日

 賀茂の斎王代などは、京都ゆかりの家柄から推薦で選ばれていますが、神道関係・社家の巫女ではなく、実業家の令嬢である傾向が強く、「神懸る身体=巫女神道」の性質をまったく持たない巫女の代表的存在となってしまいました。葵祭自体は廃れるべきではないですが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年11月21日

 葵祭は、直接のご関係者の意識は別にしても、自治体や地域住民も、斎王代の話題性(見た目)と祭祀の型(見た目)に心があると思います。ここに巫女神道を見ることは難しいです。
 内掌典は基本的に、高谷朝子様のように酒の蔵元から内掌典に抜擢されるなどというのは珍しく、今でも多くが皇室・旧華族関係の血族(旧宮家など)の子女から出てはいるものの、国家機関や宮内庁職員ではなく、賢所を守るための天皇の私的使用人ですから、内掌典という職掌と、内掌典全員が神懸りしているかどうかという神道精神上の奥義とは別と考えるべきかもしれません。しかし、日本に残された最後の斎の巫女集団の一つであることに変わりはありません。

 私たちの家系では、処女懐胎神話を守る意味もありますが、処女のまま生涯神に仕えるお頭の女性を絶対に残します。そのような家は、もうほとんど見かけないです。


岩崎純一 --- 2012年11月23日

 私もそこは同じような考えで、「巫女の法的解釈」という話題を耳にするだけで興ざめしてしまう気質ですが、それはそれとして、高谷朝子様については、確かに神道というより、別の思想的な偏向が気になるものの、あのテレビ番組は大変参考になりました。
 と申し上げながら、気になる掌典職の法的解釈ですが、西洋型法治国家・立憲君主制国家である現在の「日本国」を、私は「国体の二元性」、つまりは、「神体としての日本」と「政体としての日本」の観点から見るので、これらのうち、宮内庁職員も、皇室の内廷の私的使用人としての掌典職も、後者の議論と考えれば、神道精神上は気が晴れるものです。

 私も、巫女神道の本流は、斎王(斎宮、斎院)にあり、それが滅びた今となっては、その血筋を引く、あるいは精神を継承する播磨や吉備の社家の斎女が、巫女神道の本流であるべきだとは思いますが、多くの内掌典の方々も、その精神は受け継いでおられるのではないかと考えます。


神代の巫女 --- 2012年11月25日

 ある意味では、宮中三殿の巫女の皆様は、数奇な運命に最もさらされた巫女かもしれません。
 現在の政治の動向・方針などを見ていますと、もし内掌典の方々が個人の思いとして神道の心に寄り添われるなら、国体・政体としての日本から離れた神道を温存することも考えうるかもしれません。もちろん、宮内庁からは独立してはいても、それは無理な話ですが、私としては、日本教育再生機構に関わっていった高谷朝子様のような行動は、本来は巫女の役割ではないと考えますし、神懸り感覚、神道感覚それ自体の伝承以外に斎の巫女の仕事はないと考えています。

 最初から、眞子内親王殿下のように、伝統を逸脱する大学に入学されたり、佳子内親王殿下のように、巫女神楽よりも自らお好きなポップダンスをなさるほうが、私たち巫女神道としてもすっきりします。それは、皇統の伝統をお守りになっていないのではなく、巫女的・神道的身体を持たない女性として生きる道を自主的に選ばれた点で頼もしいという意味以上でも以下でもないのです。
 皇統に奉仕する斎の巫女の本来の仕事は、天皇と天照大神とが一体化できるよう、神託によって心から支えることなので、斎王は斎の巫女であっても、現代の内親王・女王や内掌典はそうではあり得ないからです。

 神道と日本の歴史をほとんど理解していないと思えるここ数十年の政治や教育、神社神道の巫女文化を見ていますと、私たちの巫女神道の神懸り体験や共感覚体験を女性全体に普及するのは不可能と考えます。岩崎様の夢をくじくようで、とても申し訳ないのですが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年11月26日

 いつも岩崎様のお考えを拝見していますと、日本の女子教養教育としての巫女性・巫女道のような道筋を感じるのですが、私としてもそこまでは考えたことはないです。とりあえずは、自らの社家の秘儀・伝統を守りながら、さまざまな価値観・宗教観でいらっしゃる国民を神社や祭祀でお迎えするというのがつとめだと考えています。
 皇室神道と私たち巫女神道との乖離のことは、気にはなりますが、どちらも国民に対して多くを隠している立場である以上、こういう議論の中でのみ、慰めに語ることにしていますので。
 ただ、斎王や内掌典についてのお考えは、私にとても近いので、勝手ながら安心しています。


岩崎純一 --- 2012年11月28日

 ご立派な姿勢だと感服いたします。
 日本の女子教養教育としての巫女性・巫女道というのは、まさに私の内心をよく突いておられると思います。

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(8) 巫女が詠む和歌の呪力・魔力について

巫女が詠む和歌の呪力・魔力について
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岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
つくりつくり姫 --- 2012年11月2日

 岩崎様と同じく和歌を伝承している巫女として申しますと、和歌というのも本来は聞き手・受け取り手(恋の和歌の受け取り手や、歌人から呪われる側など)を良くも悪くも金縛りや催眠術にかけることができるものでした。これは、ある一定の音の数や並び方を持つ音波が実際に脳波や身体に影響を与えることで生じるもので、例えば、テレビの光の点滅を見ててんかん型脳波が発生するのと同じ原理だと私は考えています。
『万葉集』より以前の歌垣の世界、妻問婚・女系時代の頃は、男が詠んで自分が妻にしたい女性を暗示で縛ったり、反対に女性・巫女が男に詠んで浴びせて心身の失立状態にしてから追い返すようなことのできるものでした。

 誤解を恐れずに言えば、合気道の「遠当て」と呼ばれるものに近く、原点からずれてしまいスピリチュアリズム化してしまった流派もあるのですが、私たちの場合は、巫女舞の旋回パターンで和歌の言葉と同じ作用を生み出すことができます。
 歌垣が一般的だった頃は、短歌以外にも長歌や祝詞の原型が見られますので、鬼道・呪術そのものという扱いで色々な型があったのかもしれないと思います。

 岩崎様の和歌によっても時々、私たちの巫女舞や和歌が生み出す催眠効果と同じような催眠が私たちのほうにかかることがありますが、私の体感では、岩崎様の共感覚的な催眠術能力は、万葉的な呪力ともやや違って、魔術的リアリズムのような感じがあり、やはり岩崎様の根底にある、現代の短歌結社文化や神道・仏教への反発心が影響している気がしています。岩崎様の「対女性共感覚」も、もしかしたらこれに近いと思います。


岩崎純一 --- 2012年11月5日

 私の和歌の真髄をよく突いていらっしゃる気がします。
 単なる私の修辞技巧上の和歌観、趣味嗜好だけを取って見るならば、私は二十代半ばからは、やや京都趣味に寄りすぎているところもありまして、和歌史上において、天皇におべっかを使わずに存分に共感覚を発揮して詠まれた歌集は、『新古今集』とその前後だと考えており、最も好きな歌人は藤原定家、藤原家隆、九条良経あたりではあります。
 一方で、この頃の勅撰集は、芸術至上主義的、象徴主義的な誇張表現もありますし、和歌の真髄を標榜した名言、「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける (中略) 力をも入れずして天地を動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男女のなかをもやはらげ猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」は『古今集』の仮名序のものですし、和歌は万葉・古今集のずっと以前、もっぱら呪術や金縛り術として使われた時代から、共感覚文学の姿を呈していたのは確かでしょう。

 もっとも、和歌は吉備地方の隆盛の間隙の時期に最もきらびやかに京都で栄えますから、吉備生まれの身としましては、皮肉ではありますが、とりわけ巫女の詠む神懸りとしての和歌の共感覚性については、勅撰集とは別に探究してきたところです。巫女神道における歌道は、勅撰集の陰に隠れていますけれども。

 定家の「さむしろや待つ夜の秋の風更けて月を片敷く宇治の橋姫」などは、巫女的美意識(または、その観察者)の絶唱歌でしょうが、「風が更ける」、「月を片敷く」という直覚体験なしにこういう歌を詠むと、普通はこういった露骨な共感覚表現に耐えられないのではないかとも思います。
 定家はその感覚が分かっていた人ですが、それが分からないまま和歌分析をすると、新古今集はきらびやかな修辞技巧ばかりで、万葉の世界こそ素朴な自然主義だ、とこうなるわけです。今、アララギ系の歌壇を見てみますと、プロからアマチュアまで、ほとんどがそういう短歌観です。

 私から見ると、それはむしろ逆で、貴族政治の息がかかったり貴族らの天皇へのおべっかが入ることで、万葉歌に込められていた神託や呪いの言葉が抜け始めたのが『古今集』だと思います。枕詞というのも、本当は人心や動物の気や風や雷を起こしたり制したりする力を持つものですが、皆様のように神託に襲われたり、私のように万葉集などの和歌に呪われたり取り憑かれたりしたことがないと、こればかりは分からないと思うのです。


つくりつくり姫 --- 2012年11月9日

 巫女の和歌は、斎王歌壇以来、伊勢をとっくに離れており、今では吉備・播磨などの私たちのような社家に秘伝として継承されていますし、元から勅撰集のように共感覚的な修辞技巧などの文学能力を天皇や家臣にアピールする文化ではないですから、陰に隠れていますが、それぞれの同時代の勅撰歌よりは、万葉的な魔性を帯びているのは確かです。修辞技巧ではなくて、託宣でも詠みますから、神々の言葉が私の口をついて出たり私の手で書かせる自覚はあります。

 確かに、「さむしろや待つ夜の秋の風更けて月を片敷く宇治の橋姫」のような歌では、共感覚表現が美しいと同時に、ややわざとらしさも目立つので、金縛りや神託はかかりにくい気はしますね。ただ、実践してみればわかりますが、我が家に伝わる韻律と巫女舞で唱えば、私のそばにいていただければ、ある程度の確率でかかると思います。


神代の巫女 --- 2012年11月12日

 伊勢の斎宮歌壇と賀茂の斎院歌壇では、神降ろししながら和歌を瞬時に詠む、歌垣時代の託宣が長らく行われていたと思いますし、その後も実は託宣による歌詠みが保たれていて、肝心の天皇への天照大神の託宣儀式のほうが早くから形骸化していたのですが、賀茂真淵による国学以降は、賀茂社家自ら中世歌道から国学へ乗り換えて、巫女の和歌も神降ろしも邪教扱いとなったのです。これは、岩崎様がお作りの歌道流派リストにも入っていますけれど。
 巫女禁断令のときも、巫女の歌詠みは軽視されました。


吉備の斎の巫女 --- 2012年11月13日

 神懸りの儀式による歌詠みは、全国的に見ても吉備地方にはよく残っているようです。
 朝鮮半島では、口寄せ系や、郷歌(ヒャンガ)のなごりのような言葉のフレーズを託宣するシャーマンである巫堂(ムーダン)がかなりいると言われていますが、実態はよく分りません。伝統をしっかり守っているシャーマンも多くいると思いますが、一方で、神託を詐称する卜占業なども多いと思われます。