2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(11) 日の巫女の王の伝承と日本最古の皇別系巫女神道

日の巫女の王の伝承と日本最古の皇別系巫女神道
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
神代の巫女 --- 2012年12月21日

 逆に、オカルト日本史と思われそうで、実は『記紀』よりも史実に近いと思われる伝承が、播磨・吉備地域のいくつかの社家に残っています。
 総社の秦(『隋書』に出てくる秦王国の有力候補地)や阿曾や、県内の神代(こうじろ)の出身の、またはそれらの土地にゆかりのある社家には、神武天皇以来の現在の皇統が意図的に作られる以前、つまり、『記紀』の創作、天照大神や神功皇后の創作より以前の神話(『記紀』作者たちが、唐に対抗するため、あえて覆い隠したと思われる史実)と、それに基づく神事が伝承されています。

 その中でも、この前にもお話に出ましたが、耀姫様の日の巫女のご家系は、私たちと同様、女系世襲のお家であり、現在は六甲山の麓に居を構えていらっしゃいます。ただし、注意すべきなのは、そのお家は、私たちのような、最初から現皇統と血縁関係を持たない神別(天神・天孫・地祇)系の巫女神道ではなく、あくまでも皇別氏族・皇室神道系の巫女神道のお家であり、そして驚くべきことに、真人(まひと)である息長氏の一族であり、忌み家として存続してきた皇祖母神のお家とされる点です。
 つまり、いくら皇室神道が巫女神道色を失っているとは言っても、元から皇統とほぼ無関係な私たちの巫女神道と異なり、耀姫様の一族は皇室神道に近いのです。当然お立場上も、私たちどころではなく高貴で、「斎王(斎宮、斎院)」ならぬ「斎皇」という呼称もお使いになっているほどです。そして、私たちが伝承する祭祀・秘儀よりも、耀姫様の社家のそれらのほうが、格式上も舞の型の上でも、皇室神道の斎の巫女のものに近いです。代々の「斎皇」は、皇室神道の斎の巫女であるということです。
 伊勢や賀茂のほうの斎王制度がかなり早く廃れた理由としては、武家政権の登場により、天皇が祭祀を担うだけの非政治的存在となり、天皇と斎王の役割が重複するようになったため、という説も学界では見られますが。

 従って、日の巫女の王の一族が天照大神や神功皇后の創作より以前の神話・神事を伝承しているとは言っても、それは太陽信仰を中心とする渡来系のもの(耀姫様によれば、高句麗道教系統のもの)で、おそらく造化の三神や神代七代の伝承は、内容の真偽のほどはともかく、どちらかというと私たち神別系巫女神道のほうによく遺されていることになると思います。
 つまり、耀姫様のご一族は、「日本神道の家」としては最古かつ最高位かと思われますが、「アニミズムの精神を持った日本列島の人々」の中では、有史以前から土着していた人々よりは新しいお家ということになります。

「神代」は、吉備地方や私たちの社家では「こうじろ」と読み、「神社(こうこそ・かむこそ)」と読む人もいますが、これらの言葉の起源はとても古く、西日本には、現在の神社(じんじゃ)それ自体の原型であるとされる「姫社(ひめこそ)」が点在しています。現存する総社市福谷の姫社神社に行けばわかりますが、祭神は「阿加流比売神・天照赤留日女尊・明かる姫(あかるひめ)」=「照日女(てらしひめ)、輝夜姫・かぐや姫(かぐやひめ)」です。この姫が天照大神のルーツとも言われています。
 この「あかる姫」(あるいは当時、単に「姫」)を降ろす巫女を有する家があり、そのお一人が先ほどの耀姫様とされます。

 ただし、ご当人も、その一族が中央集権国家大和朝廷を支える一氏族だったとしながらも、その最大の根拠が未だなお「一族の故老の伝承」であるという点はしっかり述べておられ、検証が待たれるところです。前にも書きましたが、一族は、長い歴史の中で分派と再統合を繰り返しているようで、各家・各古老の方々ごとに伝承にもずれがあるようですし、耀姫様の神道観に対しても、どこまでが嘘でどこまでが本当か、色々な意見があるようです。
 それでも、これらは、神武天皇の東征神話に比べて、格段に物証のある話で、私たちの社家も注目しています。

 日の巫女のご一族(皇室神道系)もそうおっしゃっていますが、私たちの社家(天神・天孫・地祇氏族系)でも、大体以下のように「太陽と人間の結婚」を伝承しています。
 昔、アジア大陸の東にあった国のある池で、人間の女性が水浴びをして遊んでいたところ、太陽の光が水鏡に反射してホト(女陰)を照らした。すると、女性は孕んで赤い玉を産んだ。その玉は成長して阿加流比売となった。姫は、やがて天日矛(あまのひほこ)という太陽の神に見初められて、妻となった。
 このような伝承です。

 天日矛(天日槍)は武器の神で、耀姫様のご一族では鉄の神剣を振る剣舞が神事の中で最も重視されているようです。神道の家柄ながら、ご親戚には刀鍛冶の家もあるとのことです。耀姫様の神剣は近年作られた分霊品で、普段持ち歩けるように金銀の装飾を施して七宝焼き仕上げにした美術品の体裁を取っているようです。
 以下の点は、私たちの神事と似たようなものです。

○ 古式に則って、甘南備山(神名火山)の山頂の磐座の上に祭って雷雲を招来する神事を行って、落雷によって生じた電流を用いて磁気を帯びさせている。
○ 敏感な人は、振ると磁気刺激を受けて脳が反応して簡単に催眠状態になれるので、神事の進行上重要な実用的アイテムになっている。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月23日

 耀姫様は、ネット上で最も厳しく『記紀』以前の巫女神道を説いている斎の巫女ですから、学術界、市民運動家からもバッシングがかなりあるようですし、耀姫様の主張も検証が必要な部分があるにはありますが、古代の皇別巫女神道の継承の仕方としては極めて貴重なのです。卑弥呼の鬼道と高句麗道教との深い関連性から、日の巫女の一族は、一度大陸に渡ったあとに太陽信仰を帯びて里帰りした縄文系の一族という説も唱えていらっしゃいます。
 明治天皇を頂点に据えて神道国教化や国家神道の建設をもくろんでは迷走してきた新政府が、吉備地方の伝承にうっかり手を出せず、私たちの先祖である斎の巫女たちに巫女禁断令をうまく適用できなかったり、事実上神懸りの神事を黙認するなどしたのは、斎王のいない伊勢がもはや行っていない、天照大神の神託を授かる祭祀を残すこういう社家が吉備・播磨地方に残っていた事情もあったからでしょう。

 ちなみに、かの桃太郎伝説は、天日矛一族の東進神話を下地にして神武東征神話が作られ、それらを下地にして子供向けの御伽噺として作られたもの、というのが、私の地域での伝承です。
 以下のような耀姫様のご体験は、私の幼少期の神降ろし体験にも近いですし、前の電磁気のお話ともつながると思います。

「7歳の頃総社の姫社神社を訪れて、あまりにも心地良い場所だったので、自然に体が動いて、拝殿で剣舞を奉納したことを思い出しました。なぜ心地良かったのか、今日活断層の分布を調べて納得しました。中国地方の数少ない活断層のひとつ、畑ケ鳴断層の南西端に位置する場所に建っていますね。土地が帯びている環境磁気を測定すれば、おそらく脳に良い結果が出てくると思います。」

「日本神話の中に登場する 耀姫(あかるひめ)」(耀姫の日記)
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100122/1264163279


つくりつくり姫 --- 2013年1月12日

 耀姫様の家系の、姫社をめぐる古老の伝承は、今一度検証されるべきものでしょうね。近世の国学者たちが神道の本質を見誤ったことが、明治政府の巫女禁断令につながったといったご主張はその通りだと思うのですが、その遠因が神仏習合にあるというようなご説明は、やや私の認識とは違いがあるようです。
 それでも、『記紀』の創作性がどこから来たかとか、現在の皇統は勝利勢力の一部に過ぎない点の説明は、論理的だとお見受けします。

「台与亡き後の混乱期に、九州の日向あたりに住んでいた人々を中心に、再び新天地を求める動きが起こり、これと結びついた旧邪馬台国の一分の人々が東進を開始したようです。当時、東の地には銅鐸文化圏があったため、戦闘の最前線となっただろう吉備の地に、鬼ノ城を築いていったようです。吉備と言えば、作られたときには日本最大級だった前方後円墳を生み出した、強大な力を持った豪族が支配した土地です。その発祥の地は姫社神社とされています。そこに祀られているのが耀姫です。他の地域の神社のように、後世になって記紀が創作した神功皇后に名前を塗り替えられることなく、古い時代の祀神の名がそのまま今に残されている貴重な神社のようです。日矛耀姫ペアを信仰する集団が発端となって栄えたのが、吉備王国だった可能性がうかがえます。」

「巴紋と託宣の儀式から紐解く古代日本史。(卑弥呼と天照大神の実像)」(耀姫の日記)
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100218/1266474872

 岩崎様の共感覚論との関連で言えば、自分たち巫女の神懸りが、自己催眠の技術であって、統合失調症などではないとしている点で、整合性があり、適切だと思います。


神代の巫女 --- 2013年1月13日

 姫社神社(祭神はアカルヒメ=阿加流比売、天日矛の妻)には、誇らしく「古代吉備国発祥の地」の看板がありました。


岩崎純一 --- 2013年1月17日

 姫社神社に行かれたのですね。

 神仏習合についても、実際は色々ありますからね。仏教勢力が神社を乗っ取って神宮寺を建立したケースもあれば、一部の門跡などは皇族が寺を乗っ取って居座っています。
 本地垂迹も、いざ神仏の組み合わせ作業をやり始めたら、段々と神仏のパズル遊びのように思えてきますし、言い方は悪いですが、適当に当てはめたとしか思えない本地垂迹の流派もあります。

 結局、どっちもどっちだと思いますが、庶民レベルでの神仏習合は、そういうものではなくて、現在までほとんど宗教的ドグマもなく、神道と仏教とキリスト教の違いもよく分かっていない、「何となく何でもやっている」感覚でしょう。
 そうは言っても私は、前近代の神仏習合のほうに深い感銘を受けますし、昨今の烏合の衆のような、初詣、神社参拝、クリスマス、ハロウィーンの騒ぎには興醒めしており、これらを「神仏習合」や「宗教の融合」や「和の精神」と呼びたくはないと思っています。


吉備の斎の巫女 --- 2013年1月21日

 耀姫様は、当の天皇・皇族勢力は、仏教徒化と神道の伝統の喪失が原因で、耀姫様の家系(日の巫女の一族)から低い評価を受けるに至ったとしていますが、これですとあまりに古い伝承で、検証が難しいものではあります。それはそれで、興味深いのですが。

 耀姫様は、

「天皇は神子と呼ばれたことがなく、日の巫女の王(後の斎王)より位が下とされた時代もありました(これは卑弥呼の例を見ても明らかでしょう)」、

「桓武天皇が日本書紀31巻を焼き捨て、他の箇所も書きかえるよう命じたのはなぜですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296395282

「憲法上の象徴天皇ではあっても、残念ながら天照大神の精神を受け継ぐ神道上の正式な天皇と言えるかどうか、微妙な立ち位置ではないかと思います」、

「天皇が神の子孫というのは、史実ですが、なぜ最近は神の力を使わないのでしょうか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1095475335

「明治天皇までは行われてきた、天皇が天照大神と心身一体になる儀式を、大正天皇からは行っていないので、私達から見れば、残念ながら正式な本物の天皇と考えることは出来ません。もちろんこれは、日本国憲法上の象徴天皇であることを認めないという意味ではありません。憲法上と宗教上は考え方が違ってきます。」、

「巴紋と託宣の儀式から紐解く古代日本史。(卑弥呼と天照大神の実像)」(耀姫の日記)
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100218/1266474872

と、驚くべき言葉で喝破なさっていますが、たとえ私たち巫女神道の立場(神々を降ろす巫女舞を舞うことのできる立場)からはそうだとしても、日の巫女の王の一族にしかできない発言で、私たちの一族がそのような立場になったことはなかったと思われます。

 ただし、以前からお話に出ていますが、耀姫様のご報告は、当時の明治政府が私たちの家系の巫女(私の曾祖母、祖母、母やその姉妹)の神託をも恐れた経緯ととても似ていますので、あながち軽視できないのです。そして、日の巫女の王の一族は、明治政府から最も恐れられた一族ということになります。


岩崎純一 --- 2013年1月23日

 私は、この日の巫女の一族のことは、和歌と巫女神道の両面から知りました。現在の一族の長である耀姫様の主張としては、ご自身の一族が伝承する神話(というより実話)があって、それが現行の日本国の皇統側の正史においては『古事記』という形の中に組み込まれているにすぎないという見方かと思います。

 日の巫女の一族の全てのご主張が史実に寸分違わず正確妥当だとすると、現在の男系男子の皇統は、千年以上に渡って伊勢斎王のまともな神託による天照大神の影もなく(しかも、斎王の神託自体が事実上初期から形骸化していたらしく)、仏教化した皇室神道のもとに展開される血統で、日の巫女の王(日巫王)すなわち女神耀姫(天照大神、神功皇后、卑弥呼・・・)の母系巫女神道家系こそが、真の「姫」姓を持って現皇室・現皇統の上位に君臨する女系王統であることになります。
 現在から短く見積もっても、斎王制度が終焉を迎えた頃には、本来は斎王の上に立つべきでない現皇統が上に立って、以後千年間は、皇室神道(とその斎の巫女たるべき神宮祭主や内掌典)は真の巫女神道を継承していないことになります。
 そうなると、内掌典は、宮中で何の意味のない物体(宮中が追い出した天照大神を祀る伊勢神宮の八咫鏡の、さらにそのコピー)を護っているのではないかという極論になってしまいます。

 それにしても、もっぱら斎王が詠んだ和歌の情趣という立場から申しますと、斎王になって初斎院や野宮で暮らす時期や、伊勢に向かう道中や、伊勢において斎王が多くの侍女に囲まれて詠んだ歌には、それはそれで深い悲哀とささやかな微笑があるのです。そういった巫女神道の哀しき美を思うと、「卑弥呼も神功皇后も天照大神も同一の女神耀姫であって、天日矛の子孫であり、現在の日の巫女の一族のみがその正統であり、古くは高句麗=高天原に端を発する」という旨の、カントやヘーゲル並みの神概念の導入のような、イレギュラーの全く存在しない一直線的解釈から、真の斎王・巫女神道史観が生まれ出るものかどうか、にわかには信じがたく、驚きを持って見ています。

 私は、斎の巫女には、ここの皆様がお持ちのような「ごく一般の人々に対する真摯な優しさと、心から貧富の差を縮め災害を鎮めようともがく託宣精神」が必要だと思っています。
 上記ページにもあるように、秦氏に所属する商人や職人を一手に束ねて経済的にも圧倒的な優勢を誇っていた自分たちの一族に、無作法を働いた天皇一味が頭を下げ衣服まで献上したといった伝承、すなわち、ご一族への富の集中がその巫女神道の正当性と現皇統の不当性の結果であるとのご見解を、ご一族が盛んに主張されている現状を拝見しますと、天皇が二千年前にこのご一族の先祖の方々にはたらいたとされるその無作法が本当に存在したのかを冷静に考えることが、目下適切な神道史観、妥当な歴史学的態度かと私は思います。

 ただし、私としては、『記紀』の創作理念が、悪く言えば虚構と脚色の書、よく言えば扶余・高句麗・百済、そして大和朝廷側からの大陸(唐、新羅)対策としての書だったのと同様、耀姫様のご一族を含めた古代吉備の巫女神道についても、虚構・脚色と史実との区別といった安易な二元論から超然としてとらえたいと思います。

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(10) 岡山の神道系新宗教の隆盛

岡山の神道系新宗教の隆盛
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岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
岩崎純一 --- 2012年12月5日

 また後日書きますと述べていたことが以下です。以前にも何度かお話しさせていただきましたが。

 私が目下、吉備の神道について不安視しているのは、今でも岡山の由緒ある神社神道系の社家の中に、巫女に限らず宮司や禰宜にも、いわゆる神道霊学、秘教神道に舵を切ったり、金光教、黒住教、ほんぶしん、神習教、天理教、大本、神道天行居などを思慕してその方向に舵を切る人が絶えないことです。
 私も以前から、金光教や黒住教のニューエイジ化・ヒーリング宗教化に言及していますが、神社神道本流の宮司や禰宜のニューエイジ人間化・ヒーリング宗教者化とでも呼びたい傾向も出てきていると感じます。
 ご存知の通り、前者の四宗教は岡山発祥であり、このほか岡山の新宗教、ニューエイジ系集団の勃興率の異様な高さは全国的にも珍しく、県内社家の巫女の間でも話題になると伺っていますが、岡山の土と空気(風土)がそうなっているかどうかを、それこそ皆様に神託して見ていただくまでもなく(?)、歴史がそのこと(岡山は新宗教が発生しやすい土地であること)を示しているので、悩ましいところです。
 私は、私立の中高一貫校卒ですが、一家・一族丸ごとこれらの教団の信者である同級生はたくさんいました。当然、東大に進んだ人もおります。

 国家神道と同じくらい、教派神道・神道系新教団とも関わらずに近代の神道改革を乗り切ることのできた岡山の巫女神道の社家はあるのでしょうか。ただし、神道大教や神宮教、出雲大社教は、良くも悪くもこの話題から除かれる性質のものと考えますが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月7日

 なぜ岡山における新宗教の発祥が多いのかは、それこそ死ぬ覚悟での神懸りを経ないとわからないことかもしれませんね。ただ、私の一族は、金光教や黒住教、神習教などの影響を受けずに近代を乗り切ったものと私は見ています。
 しかし、現在でも周囲はこれらの信者だらけです。金光教は、大字丸ごと信者であるところもあります。

 遡って申しますと、日本神話(『記紀』や私たちの社家に伝承される神話)の想像力・創造力に富んだ虚構性や脚色は、江戸末期の教祖個人の霊体験とはまったく異なる性質のものであると考えています。仮に前者の神話だけが創作で、後者の体験が事実だとしても、私たちの言う神道とは前者を伝承する精神のことを言うので。
 金光教については、今では信者も外部の県民も、これを神道と認識することが最も難しい教派神道系の団体だと思います。天理教やその系譜のほんぶしんなどは、自他共に認めるとおり、まったく神道ではありません。また、禊教は岡山の教派神道ではありませんが、金光教も禊教も、皮肉にも白川伯王家の後ろ盾で急成長した新宗教です。ただし、当時は金光教も神道と言えたからこそ、白川伯王家もそれを助けたのだということは言うまでもありません。

 ただ、吉備地方の遺跡群や、私たちの社家に秘伝・埋蔵されている文物なども、『記紀』の記述の反証となる(つまり、『記紀』の捏造性を証明してしまう)ものが含まれますし、国学・近代化の時代以降は、発掘・研究禁止も指示されました。このようなことから、岡山という土地は、「新教団を立ち上げて、(事実上)既成神道に反逆せよ」との天命を自分個人が受けたという神託体験を捏造する教祖・神職や詐称教団を生み出しやすく、また、明治以降の国家神道などの国策に対する反骨精神の残存もあって、そのような教祖・教団を町民・村民レベルで継続的に信仰しがちな土地柄ということはあるかと思います。

 ちなみに、私の社家は、国家神道の影響も直接的にはあまり受けていませんが、間接的に受けています。以前も触れましたが、新政府による神道国教化や国家神道構築の動きで白川伯王家が没落したため、皇室神道(内掌典、斎皇女)と私たちのような原始巫女神道(斎の巫女)との関係が完全にとだえるという結果になりました。


岩崎純一 --- 2012年12月9日

 神託体験を捏造する教祖・神職や詐称教団を生み出しやすく、町民・村民側もそれらを信仰しがちな土地柄という視点は初めて聞きましたが、合点がいきました。普通は、池田光政の神仏分離政策、仏教(特に浄土真宗)への弾圧と神道・儒教の優遇などが、原因として挙げられますので。

 巫女神道への間接的な影響としては、大教宣布・神道国教化、神道事務局祭神論争、そして国家神道・教派神道制度への方針転換といった政治的混乱の影響が大きかったのでしょうね。発掘禁止の指示も、本来は、大和朝廷への古代吉備王国の貢献度や、吉備に残る斎の巫女たちの神託を、国家神道側が恐れたというのが真相ではないでしょうか。それで結局、巫女神道には神道の場からご退場いただく、巫女の神験の影響自体を神道から排除して、近代化や帝国主義戦争に使える国家道徳に神道を作り替える、という方針になったのだと思います。

 もちろん、岡山県に限らず、教派神道の教団ごとの方針(明治新政府や戦後の政府への反抗の仕方)や教派神道連合会との距離感の違いは見られます。
 しかし、例えば、人工言語(岩崎式言語体系)を制作していて言語学関係者の方々との交流のある私から申し上げますと、エスペランティストや世界連邦主義者には、戦後に教派神道連合会に加盟した大本の信者が相当数含まれます。これは、出口王仁三郎がエスペランティストだったことに起因していますが、これらの方々の一部は、「日本語や日本国を廃止して、エスペラントや世界連邦国家・政府だけを統一言語や統一国家・政府として残したとしても、日本神道を残すことは可能である。日本神道の概念は完璧にエスペラントに翻訳することができるため、祝詞をあげるのもエスペラントを使えばよい」と主張しています。
 このような主張をする大本の信者は、岡山県にも今なお多いです。これらは、一見するとニューエイジ的・近未来的な発想ではありますが、未来にも実現不可能な内容です。そして、この大本の教義にさえ不満・不足を感じてこれを脱退した友清歓真が創設した宗教結社が、神道霊学に基づくユダヤ陰謀論(ユダヤ人に対する霊的国防)を今でも唱える神道天行居です。
 これらは、私の言語観や神道観とは全く相容れないものです。

 そういえば、神懸り体験や共感覚の議論のところでも、皆様が私に合気道を勧めて下さいましたが、植芝盛平の大本入信などを見ていても、根本的なところで安っぽい印象や、ちゃちな感覚を覚えてしまう私は、今まで通り、巫女の皆様との交流や、真面目に生きていらっしゃる精神障害者や発達障害者の方々との交流、自分自身の共感覚体験などから、「合気」さえ体得できていれば、いかなる武道も宗教も私には無用だろうという考えで、現在のところは生きています。

 以前話に出た日の巫女のご一族の耀姫様の神道史観についても、真っ当であるとする人もいれば、それが史実をどこまで反映しているのか、現在の(旧)教派神道系の教団並みのニューエイジ思想にすぎないのではないか、と疑う人もいるなど、賛否両論があるようです。

 私は様々な言語学閥の動向を追っていますが、面白いことに、言語学においても、東アジアの扶余や高句麗で飢饉に苦しんだ、天日矛神を信仰する一族が、九州に渡り、吉備に辿り着いたという説は唱えられています。なぜならば、日本語自体が、扶余語や高句麗語に近いのは確実であるからで、日本語とこれらを合わせて扶余語族とする説があります。
 ただし、正統の言語学ではほとんどタブーです。一部の社家の神事(ほとんどが耀姫様のご一族の神事)で使われる、変則日本語に聞こえる「高天原言葉」なる言葉も、実質的には高句麗語の姿を残していると思われます。その後、日本列島土着の言葉にそのような渡来系の言葉が重なって「大和言葉」が成立していき、大和朝廷が誕生することになります。
 これとは反対に、日本語は南方起源だとする説に、大野晋の「日本語クレオールタミル語説」などがあります。私は、これについても極論過ぎると疑っておりますが、しかし例えば、耀姫様の言語観・日本語観において「大野の法則」などがどう受け止められているか、耀姫様のご一族の「高天原言葉」やお手元にある神典などの通時言語学的分析と耀姫様がお唱えになっている生得真理との理論的統合は成されるか、といった点に関心を持っています。

 いずれにせよ私は、「日本語は、世界的に極めて古い、多言語のハイブリッド言語」であり、「日本文明は、南北の様々な超古代文明のハイブリッド文明」というのが真相だと考えます。
 ニューエイジ化した教派神道の教導者陣による神道教育程度では、その深みと重みには耐えられないと思います。

 ともかく、神道かどうかよく分からない新宗教が興されたり、ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論の両方が展開されたりと、一部の岡山県民に見られる神道観は色々と危ないと感じる今日この頃です。


つくりつくり姫 --- 2012年12月10日

 私も岩崎様と同じく、黒住姓を先祖に持つ家ですし、私たちの場合は血のつながりもあるとされますが、ややこしい分派があって以降は関わりはありません。川崎医科大学総合医療センター、川崎学園、旭川荘など、黒住教系の施設への訪問歴はありますが、神道上の共通点があると感じたことはありません。日本会議とも関係が深いようですし、うちの一族としては、黒住教は政治・営利団体ととらえていますよ。
 黒住教は、元は朝日(初日の出)を拝む日拝の神事にアニミズム性が宿っていましたが、天照大神に万物創造主の性質を持たせて以降は、私たちの巫女神道から見れば、天理教や金光教と同じく「神道ではない新宗教」であると映っています。


吉備の斎の巫女 --- 2012年12月11日

 岩崎様の教派神道のニューエイジ化に対するご不満やご不安は、私たち巫女神道の立場から見ても、本当にまっとうだと感じます。宗教や、合気道などの武道へのご姿勢の徹底ぶりも、恐れ入ります。

 とくに岡山県内の私たち斎の巫女がこれから県内の教派神道や神道霊学とどう関わっていくかについては、当の私たちにも解決がついているわけではありませんし、一筋縄ではいかないと思いますので、岩崎様の神道観・文明観や言語学体系も取り入れて考えるなど、優れた個人研究者・非宗教家の方々とも議論を深めたいと考えております。
 ほぼ全てが秘伝である耀姫様のご一族の皇別系巫女神道の「高天原言葉」などは、正体不明である以上、分析のしようがないので別にして、先ほどの大本のエスペランティストの方々の言語論や神道天行居のユダヤ陰謀論よりも、岩崎様の『大全』や言語論のほうが、よほど神道の本質を語っていらっしゃると思っていますので。

 ちなみに、金光教や黒住教の信者にも、エスペランティストは多く、共産主義者も多いですし、日本語廃止論者や世界連邦国家論者も見かけます。大本の主張とほとんど区別はつきません。日本語を廃止して世界統一言語(エスペラント)だけを用いるようにしても日本神道を世に残せるという、これらの方々の信念は、天照大神や天皇を宇宙万物の創造主とする一神教思想からしか出ませんので、従って、私たちからすれば神道とは認めがたいです。
 私たち巫女神道において、天照大神も天皇も万物創造主ではあり得ないのは当たり前のことですので。
 戦前は、大本を中心に、教派神道信者の軍人も多かったですし、金光教や黒住教にも軍人の信者が多くいましたが、一神教的な天皇教は、そもそも神道、巫女神道とは相容れないのです。


神代の巫女 --- 2012年12月14日

 教派神道については、少なくとも岩崎様が挙げておられる岡山県内の教派神道系新教集団は、私たち斎の巫女の伝承とは無縁のものと思っておりますので、関わりそのものがございません。教派神道系と言っても、様相がまったく違いますし、天理教とその分派は、私は神道でさえないと考えておりますので。
 結局のところ、黒住教の発祥のきっかけである黒住宗忠の天命直授や、金光教の発祥のきっかけである金光大神の立教神伝が、古代吉備王国時代からの神事を伝承する私たち斎女の「神懸り」と同じ(科学者が一応説明できている)合同感覚的な自己催眠だったかどうかを、タイムマシンで過去に戻って検証しなければ、それらの宗教を神道と称することも不自然だと思います。
 日ユ同祖論も、日本の神道とつながるのは、ユダヤ一神教ではなく、それ以前の古代エジプト・オリエントの多神教世界だと思っていますので、私としては関わっていません。

 言葉はとても悪いですが、私たちの巫女神道は、いろいろな教派神道系教団やオカルト科学とは今後も無縁でありたいと願っています。


岩崎純一 --- 2012年12月16日

 つまりは、成立過程にニューエイジ性が伴っていないことが明らかである神道大教や出雲大社教は別にして、とりわけ岡山発祥の教派神道系宗教は、神道であるかどうかを再確認しないとどうしようもないようですね。私も、かなり幼い頃から、これらのどこが神道なのかよく分からないという思いで見てきました。

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(9) 宮中祭祀と巫女神道との距離感

宮中祭祀と巫女神道との距離感
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岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
神代の巫女 --- 2012年11月17日

 かねがね聞き及ぶところですと、今は内掌典は、年齢層は私たちと同じ10〜20代の子女たちも多いですが、私たち地方の社家よりももっとローテーションが速い数年交代制になっているようですね。生涯を内掌典に捧げる女性は、テレビに登場した高谷朝子様の例あたりから減っています。この方の頃から、実際に内掌典の脳や身体では転換性、身体化に該当する知覚融合体験は起きなくなった可能性もあります。


つくりつくり姫 --- 2012年11月18日

 賀茂の斎王代などは、京都ゆかりの家柄から推薦で選ばれていますが、神道関係・社家の巫女ではなく、実業家の令嬢である傾向が強く、「神懸る身体=巫女神道」の性質をまったく持たない巫女の代表的存在となってしまいました。葵祭自体は廃れるべきではないですが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年11月21日

 葵祭は、直接のご関係者の意識は別にしても、自治体や地域住民も、斎王代の話題性(見た目)と祭祀の型(見た目)に心があると思います。ここに巫女神道を見ることは難しいです。
 内掌典は基本的に、高谷朝子様のように酒の蔵元から内掌典に抜擢されるなどというのは珍しく、今でも多くが皇室・旧華族関係の血族(旧宮家など)の子女から出てはいるものの、国家機関や宮内庁職員ではなく、賢所を守るための天皇の私的使用人ですから、内掌典という職掌と、内掌典全員が神懸りしているかどうかという神道精神上の奥義とは別と考えるべきかもしれません。しかし、日本に残された最後の斎の巫女集団の一つであることに変わりはありません。

 私たちの家系では、処女懐胎神話を守る意味もありますが、処女のまま生涯神に仕えるお頭の女性を絶対に残します。そのような家は、もうほとんど見かけないです。


岩崎純一 --- 2012年11月23日

 私もそこは同じような考えで、「巫女の法的解釈」という話題を耳にするだけで興ざめしてしまう気質ですが、それはそれとして、高谷朝子様については、確かに神道というより、別の思想的な偏向が気になるものの、あのテレビ番組は大変参考になりました。
 と申し上げながら、気になる掌典職の法的解釈ですが、西洋型法治国家・立憲君主制国家である現在の「日本国」を、私は「国体の二元性」、つまりは、「神体としての日本」と「政体としての日本」の観点から見るので、これらのうち、宮内庁職員も、皇室の内廷の私的使用人としての掌典職も、後者の議論と考えれば、神道精神上は気が晴れるものです。

 私も、巫女神道の本流は、斎王(斎宮、斎院)にあり、それが滅びた今となっては、その血筋を引く、あるいは精神を継承する播磨や吉備の社家の斎女が、巫女神道の本流であるべきだとは思いますが、多くの内掌典の方々も、その精神は受け継いでおられるのではないかと考えます。


神代の巫女 --- 2012年11月25日

 ある意味では、宮中三殿の巫女の皆様は、数奇な運命に最もさらされた巫女かもしれません。
 現在の政治の動向・方針などを見ていますと、もし内掌典の方々が個人の思いとして神道の心に寄り添われるなら、国体・政体としての日本から離れた神道を温存することも考えうるかもしれません。もちろん、宮内庁からは独立してはいても、それは無理な話ですが、私としては、日本教育再生機構に関わっていった高谷朝子様のような行動は、本来は巫女の役割ではないと考えますし、神懸り感覚、神道感覚それ自体の伝承以外に斎の巫女の仕事はないと考えています。

 最初から、眞子内親王殿下のように、伝統を逸脱する大学に入学されたり、佳子内親王殿下のように、巫女神楽よりも自らお好きなポップダンスをなさるほうが、私たち巫女神道としてもすっきりします。それは、皇統の伝統をお守りになっていないのではなく、巫女的・神道的身体を持たない女性として生きる道を自主的に選ばれた点で頼もしいという意味以上でも以下でもないのです。
 皇統に奉仕する斎の巫女の本来の仕事は、天皇と天照大神とが一体化できるよう、神託によって心から支えることなので、斎王は斎の巫女であっても、現代の内親王・女王や内掌典はそうではあり得ないからです。

 神道と日本の歴史をほとんど理解していないと思えるここ数十年の政治や教育、神社神道の巫女文化を見ていますと、私たちの巫女神道の神懸り体験や共感覚体験を女性全体に普及するのは不可能と考えます。岩崎様の夢をくじくようで、とても申し訳ないのですが。


吉備の斎の巫女 --- 2012年11月26日

 いつも岩崎様のお考えを拝見していますと、日本の女子教養教育としての巫女性・巫女道のような道筋を感じるのですが、私としてもそこまでは考えたことはないです。とりあえずは、自らの社家の秘儀・伝統を守りながら、さまざまな価値観・宗教観でいらっしゃる国民を神社や祭祀でお迎えするというのがつとめだと考えています。
 皇室神道と私たち巫女神道との乖離のことは、気にはなりますが、どちらも国民に対して多くを隠している立場である以上、こういう議論の中でのみ、慰めに語ることにしていますので。
 ただ、斎王や内掌典についてのお考えは、私にとても近いので、勝手ながら安心しています。


岩崎純一 --- 2012年11月28日

 ご立派な姿勢だと感服いたします。
 日本の女子教養教育としての巫女性・巫女道というのは、まさに私の内心をよく突いておられると思います。