2017年07月30日

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(2) 巫女の自己紹介

巫女の自己紹介
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
吉備の斎の巫女 --- 2012年9月16日

 皆様には大変お世話になっております。
 私たちの文章だけは岩崎純一様のサイトで公開していただく可能性がありますので、そのつもりで、詳しく自己紹介させていただきます。(巫女舞や託宣については、秘儀であるため公開はお願いしていません。)

 私は、岡山県の備中・備前、特に総社・高梁の神社や霊山や古墳で斎の巫女(いつきのみこ)をしています。吉備・播磨地方には、もちろん私以外にも斎の巫女がいますが、最初に岩崎純一様に連絡をとらせていただいたときのニックネームがこれでしたので、そのままにさせていただいています。
 今はたいてい、一か所に詰めていまして、巫女舞、神降ろし、託宣などは減っています。私は生涯現役巫女という道を考えておりませんし、私の社家の女子たちもずいぶん育ってきましたので、今少しで定年であがる予定です。私ももうすぐ、ごく一般の30代女性になることでしょう。

 でも、磐座(いわくら)が歪んで見えたり、それが泣くのを聞いたりするのに慣れている女性が、普通に女性業をできるのかと、とても心配になります。
 その気になれば、というよりもそこまで望んでいないにもかかわらず、今でもそれなりの割合で、近所の素行のよろしくない方々を病気にしたりヒステリーにできるのは、色々と望ましくないものと、明らかに思うこの頃です。それで、私を含む、私の家系の女子たちは男性たちよりも「ぼっけーきょーてー(とても恐ろしい、の岡山弁)」と言われる始末です。

 私の家系は、『記紀』神話以前、皇統誕生以前からのルーツを持つとされる家系で、真偽のほどは検証が必要ですが、そのような家系は、おそらく現在は兵庫県・岡山県内に集中的に存続していて(天孫降臨神話の中心地であり、また、神武東征神話やそれ以前の東進型の神話が必ずここを通るためです)、岡山県内の社家は古代吉備王国の神懸り・託宣文化を伝承しています。ただ、実際は、県外におもな居を構えてそこから岡山県内の古代吉備王国時代の神社を管理している、という社家もあります。

 私たちの社家は、神別氏族(天孫・地祇)を祖に持ちますから、地元に伝わる伝説や代表的な日本神話(『記紀』など)に出てくる神々から直接に、神武天皇の系統とは無関係に生まれ出た家系とされます。ですから、「いつきのみこ」という読みでも、「斎皇」や「斎皇女」とは書けず、「斎の巫女」と書きます。
 代表的な神別氏族と言えば藤原氏で、私たちの社家も藤原氏や菅原氏の近縁とされます。現在、兵庫・岡山県に「藤原」姓が集中していますが、直接の子孫というよりは、虎の威を借りて「藤原」と名乗ったケースも多いようです。
 一方で、皇別氏族を祖に持つ社家は、神武天皇が登場したのちに、その皇統から分かれ出た高貴な社家で、これを名乗る社家も、播磨・吉備には現在もいくつか存在しています。もちろん、奈良・京都を中心に、全国にも散らばっています。

 私の家では、基本的に女系女子が斎の巫女になりますので、祖母、母、姉妹、従姉妹などが巫女です。ほぼ皆、斎の巫女、神子、八乙女などですが、一部は女性神職や各神社の事務員になります。
 私の家は、皇室とは今や無縁となっていますが、血族関係にないとの意味以上に、私の家や近隣地域の数家のほうが、父系男子の皇室神道が母系女子の巫女神道だった頃の源流に近いものを遺しているとの意味でもあります。

 日本の神道そのものの最初の姿は、東アジアの他のシャーマニズム文化と同じで、今の父系男子の皇統とは別に、母系女子による巫女神道でした。中山太郎の『日本巫女史』の「巫女教としての原始神道」にも、「我国の原始神道が巫女教であったことは、神道発達史から見るも、古代社会史から見るも、更に巫女史から見るも、民俗史から見るも、疑うべからざる事実である。」とあるのがそれです。
 その巫女神道が崩れた時期については、現皇統を認めたいか認めたくないかによって、社家ごとに見解が違いますが、私としては、最も原理的に見る(皇室神道の男系男子化、仏教の日本流入、斎王制度の消滅そのものに批判的な)社家の巫女の方々よりは、遅い時期だったと見なしています。
 ただ私も、日本国の象徴が現皇統の天皇であるという憲法上の規定とは別に、現皇統があくまでも日本神道の一部で、政治的に勝利した勢力であると解釈できるような、神話の時代からの伝承に生きています。

 もちろん、ここは政治思想の話の場ではありませんから、その方面のことはあまり書きません。
 今でも岡山は、日本最古の古墳が発見されているような土地ですが、私有地以外は、発掘してよいかどうかが国(政府、宮内庁)や自治体、神社本庁、岡山県神社庁などの方針で決まるため、明治以降は特に、埋蔵物も巫女神道側の伝承の証拠を示すものに偏って埋まっていると思います。

 ところで、岡山のご出身でもある岩崎純一様は、共感覚者と呼ばれている方で、岩崎様より、「巫女が神懸り神事をしているときに、どのような知覚と意識の変容が起きているか、共感覚に当たる感覚がどのように起きているかを知りたい」という内容のご連絡を初めて頂いて以来、私からも岩崎様の知覚を探るようになりました。
 そして、私の社家の他の巫女や、知人の社家の巫女にも共感覚の話題を持ち込むようになりました。岩崎様は、地元吉備の近衛兵・陸軍将校、郷土文学者、漢籍教育者の曹洞宗家系で、社家系統ではいらっしゃいませんが、たまたま私たちの社家に極めてお近い所の出でいらっしゃいますので、そのこともあって、私どもの若い巫女たちにも岩崎様の知覚世界や体質が興味を持たれたようです。

 岩崎様は、『音に色が見える世界』と『私には女性の排卵が見える』という二冊のご著書をお出しになっていますが、このほかには単著のご活動はありません。私としては、サイトやブログの文章のほうが、これまでのご著書よりも良い文章だと思うところもかなりありますので、これらをまとめたような次のご著書を期待しているのですけれど。二冊目のタイトルは、岩崎様の第一希望は『対女性共感覚論』などだったそうですが、最終的に上記になったそうです。

 ただ、私や私の姉妹や従姉妹をはじめとして、岩崎様の共感覚を拝見した結果、岩崎様を事実上、現代の「男覡(おかんなぎ)」の一人と見ている巫女もおります。私たち社家に伝わる「男覡」は、巫女に準じる神託能力を持つ男性で、盲目・聾唖の場合も多いですが、男神の依代(よりしろ)という存在です。
 この二冊が扱った「共感覚」は、一般論でもありつつ、それ以上に男覡の能力や、私たち巫女の神降ろしや託宣の実情を説明している可能性があることは確かだと感じますし、私を含め、まだ色々な神社や社家の巫女の間で読まれています。

 本として良本かと言うと、それはわかりません。内容というよりは、新書での出版という伝え方の問題ですが。それでも、日本文化の共感覚性を唱道している本は日本にこの二冊しかない状況です。岩崎様の論からは、明らかに「神々を匂う(にほふ)」、「神々を聞く・聴く・利く(きく)」、「神々を見る・観る(みる)」という原理が感じられ、これらは斎の巫女にとって最重要の知覚原理です。

 私たちの神降ろしや託宣を「共感覚」の視点からも説明することは意義深いと思いますし、議論の記録を残すことは、私たち社家側の巫女文化の未来にとっても重要だと考えています。

 そのようなことですので、よろしくお願い申し上げます。


神代の巫女 --- 2012年9月16日

 神代(こうじろ)の巫女と申します。よろしくお願いいたします。
 岡山の社家の娘として生まれました。一番の特徴はと申しますと、幼い頃からほぼ旧暦で生活しながら、巫女舞を舞っています。お正月が一年に三度あると言えます。冬至と、新暦のお正月と、旧暦のお正月です。


つくりつくり姫 --- 2012年9月17日

 岡山県内の巫女、託宣歌人(神託で和歌を詠む巫女)です。ここでのニックネームの「つくりつくり姫」は、造山古墳と作山古墳から来ています。
 私は八乙女として舞を舞ってきましたし、十代の頃は、外からいらっしゃるアルバイトの巫女さんたちと一緒に神社の清掃をしたりお守りを売ったりした経験もありますが(これも私にとって役に立ちました)、二十歳を過ぎてからは、家に伝わる神懸り・託宣の儀式を中心に行っています。吉備に定着する前(といっても古代)は、梓巫女(歩き巫女)の一派だった可能性もありますが、よくわかりません。
 よろしくお願いいたします。

『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(1) 序 「巫女神道」とは何か

序 「巫女神道」とは何か
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト内 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/
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巫女神道
岩崎純一 --- 2013年3月2日

 この記録は、私(岩崎純一)による巫女神道の探訪記録、特に斎の巫女(いつきのみこ)の方々との交流の記録(議論交換ノートのネット用改訂版)です。
 巫女神道と関わるようになった経緯は、これ以降の本文で述べているほか、上記サイトにも簡単に掲載しています。

伏見稲荷大社(京都への一人旅で岩崎が撮影)「巫女神道」という用語をお使いになっている神道関係者、特に神職は少ないと思われますが(巫女は一般に神職ではありません)、巫女の方々ご自身が「皇室神道」や「神社神道」との対比としてお使いになっているケースはよく見ますので、私もこの用語を採用しています。

 これまでに私は、近現代の一般的な神社神道、すなわち、神職男性が神前で祝詞を唱え一定の所作を行う祭祀を中心とする神道の巫女文化も探究してきました。これには、皇室神道、神社本庁所轄の全神社の神道、単立神社の神道、旧国家神道の全部、旧教派神道の一部などが含まれます。

 しかし、ここで扱う巫女神道とは、斎の巫女・神子(斎女)が巫女舞(巫女神楽)によって日本の八百万の神々を自らの体に降ろし宿らせて託宣する(とされる)原始神道、すなわち、中山太郎らの民俗学者が「巫女教」、「女巫の教」などと呼んだ一種のシャーマニズムを指します。

 ただし、上記の神社神道の巫女であっても、神懸りの秘儀など一般国民の日常からかけ離れた生活を継承している巫女は、ここに含めます。現在の巫女の9割以上を占める、社家出身でない一般の女子大学生・女子高校生のアルバイト巫女については、どのような体質や感覚能力を有する場合に事実上の隠れた斎の巫女と認められると考えるべきか、斎の巫女の方々と岩崎が本文中で議論しています。
 一方、神道色を廃し、ニューエイジ系の思想やマインドコントロールの手法を採用した一部の教派神道系教団の儀式を行う巫女は、ここから除きます。
 天皇や公家の私的使用人として、つまり、一般家庭の家政婦と同じ法的なお立場として、皇室神道の巫女を務めている現在の内掌典については、神懸り神事を行っていませんが、その特殊なお立場から、私の私的見解で研究対象に含めます。
 その一方、神宮祭主のように、勅旨=天皇の私的命令などによって戦後に意図的に元女性皇族ばかりが連続で就任しているにすぎない地位の場合、巫女神道の一役職とは言えませんので、ここからは除きます。

 多くの神社神道の祭祀・儀式においては、神職および巫女は、現代の精神病理学・脳神経学上で「転換性障害」、「身体表現性障害」、「憑依障害」、「カタレプシー(強硬症)」、「カタプレキシー(情動脱力発作)」、「共感覚」などと呼称される意識・知覚の変容を全く、またはほとんど伴っていないと考えられますが、斎の巫女の神懸り体験では、これらが激しく伴います。
 ただし、注意すべきは、斎の巫女の神懸り体験は、多くの科学者によって自己催眠現象であると分析され、巫女たち自身もそう自覚している点です。つまり、斎の巫女たちは、半ば随意的に自らこれらに陥ったりこれらから脱したりできる身体技術を身につけています。いわゆるパワハラやセクハラ、犯罪被害などによって神経症性障害(不安障害、PTSD、急性ストレス障害など)や精神障害(鬱病など)に陥った女性の意識混濁や「うわごと」とは、様相が(重なる部分もある一方で、)紙一重のところで異なっています。また、斎の巫女たちの転換性・身体化型のヒステリーは、単に傲慢で凶暴な性格の女性の暴言や暴れ方とは根本的に異なっています。

 私の場合、故郷岡山(日本神話・古代吉備王国時代以来)の秘伝的な巫女神道(特に斎の巫女による祭祀・儀式の最中の知覚・認識・思惟の世界それ自体)への関心が主となっています。

2016年11月21日

【大麻取締法違反】高樹沙耶容疑者の逮捕と日本の共感覚者・共感覚研究者界隈

 石垣島で男性らと大麻パーティー村を築いていた元女優の高樹沙耶容疑者が逮捕されて以来、色々な学識者や謎の薬物評論家たちがコメントを述べているが、日本の共感覚者・共感覚研究者界隈でも賛否両論あるようである。むしろ、共感覚者・共感覚研究者の間では、高樹沙耶容疑者の思想に賛同する立場は結構多く、元より大麻合法化を主張する人も少なくない。

 そうなると当然、それは「大麻合法化論者である共感覚者」なのではなく、「大麻によって得た共感覚を、生得的にまたは自力で得た共感覚と詐称または誤解して、大学・医療などの研究に研究者・医者・被験者として潜り込んでいる人物」である可能性が出てくるので、その研究自体が疑わしくなるし、まじめな共感覚者たちからすれば迷惑な話である。

 共感覚をまじめに「科学」しようと思うなら、日本の薬物関連犯罪の現状に鑑みて、自ら共感覚者を主張する被験者に薬物検査を実施し、非薬物性の共感覚と薬物性の共感覚とを分けて研究しなければどうしようもないにもかかわらず、目の前の被験者を最初から非薬物性の共感覚者だと見なしている点に、私などは非科学性を感じてしまう。今回も、高樹沙耶容疑者の表向きの政治的主張は「医療大麻の普及」であり、大麻パーティー村の表向きの姿は「医療大麻の普及のための研究施設」であった。

 私は、日本の共感覚界隈や薬物・幻覚研究界隈のこういう態度が摩訶不思議というか、嫌悪感を覚えるところであるので、今後とも様子見をしながら批判的に関わっていくことになるだろう。

 私は、ほぼ個人活動で(日本共感覚研究会として数名の方にご協力いただきながら)、下記のような資料を作成・公開している。もちろん、違法薬物の使用を検討している日本人への情報提供が目的ではなく、日本の違法薬物蔓延の現状に警鐘を鳴らすためである。私としては、「現代日本は現代日本の薬物観や植物学観、法学観で動くべきで、普通に薬物を摂取して薬物共感覚パーティーや幻覚実験を楽しんだり、共感覚論文を量産したりしているオランダやアメリカの一部の州の価値観に追随する必要はない」という考えを提示し、高樹沙耶容疑者のような人物が日本の共感覚者・共感覚研究者から出ないように願っている。

 日本人であれば、例えば「茶道それ自体が、心身の薬でもあり、共感覚的大宇宙である」という哲学論文でも書いて世界に提示すればよいというのが、私の考えであることに変わりはない。

「麻薬・覚醒剤・危険ドラッグ・指定薬物等による共感覚の出現の知見の有無と当該薬物の国際条約及び世界各国・日本国の法令等における扱いとの対応表」
http://iwasakijunichi.net/jssg/hokokusho/hokokusho4.pdf

 大麻に関して言えば、現在はオランダ、ウルグアイ、バングラデシュの全土で合法であり、アメリカはワシントン州、コロラド州など西部地域で合法の傾向にある。最も規制が緩いのがオランダで、他の合法国・地域ではマフィアなどの裏社会やスラム街の治安悪化などが絡んでいるのに対して、オランダでは一般白人の男女やLGBTの人々が普通に使用している。大麻が世界的に合法化されつつあるのは、多くの場合、麻薬犯罪組織などがどんどん裏社会へと隠れないようにするための措置なのであるが、オランダは(その価値観の善し悪しは横に置くとして)もはやそういう国ではなくなっている。

 オランダは、大麻や売春、それらを伴う限定的なパーティーの開催(いずれも合法)についての根本的な考えが、その是非は別にして、日本や東洋とは異なっているわけであって、高樹沙耶容疑者のように、多くの日本人の価値観とは異なるオランダ的主張を日本の国会議員選挙でされても、日本人の価値観がそちらに流れるはずはないのであった。

 オランダでは、例えば、運転免許講習や女性警官採用試験、料理人資格や家政婦採用などにあたり、「試験官(男性)側が受験女性に対して、講習料・試験料免除の代わりに買春を持ちかけ、女性が了承すること」は双方が合法であるが、「女性側から試験官に対して、売春するから講習料・試験料を免除するよう持ちかけ、試験官が了承すること」は双方が違法である。

 こういった価値観は、少なくないオランダ国民の意見であるのみならず、政府・国会・裁判所が表明している公式の見解でもある。日本人の私には意味不明であるが、すでにいくつかの技能講習については、法案が通り、「一部の公的資格の教官による受講者・受験者に対する買春の提案および買春実行の主導による講習料の完全免除」がオランダでは合法化されている。
(買春を主導せず、売春の形に誘導した場合はアウト。)

 オランダ政府の公式見解に忠実に書くと、「運転免許講習など技能の教授を主目的とする教習所や専門学校などの技能教授者(男性とする)に対し受講者(女性とする)側が負担すべき受講料について、金銭の代わりに性的活動(女性の身体の提供)によってその支払いとすることが、男女共に合法であるためには、女性の身体の提供を技能教授者である男性が主導的に提案し、持ちかけた場合に限る。受講者の女性がこれを持ちかけた場合にこれが違法であることは、論を待たない。女性が技能教授者で男性が受講者であるならば、当然女性がこれ(性的活動による受講料の免除)を持ちかけた場合のみ、合法である。」だそうである。

 今やゲルマン系オランダ白人にとって、家族や友人やLGBTどうしで大麻パーティーを楽しむことも、自由と平等と高い人権意識の表れだそうだが、一方で死刑には断固反対の立場が多く(死刑は廃止済み)、死刑存置論者が8割を占める日本の状況や、日本の殺人事件の被害者遺族が犯人に極刑を求める感情については、キリスト教的絶対悪と区別がつかないようである。

 このような価値観を持ったオランダや一部のアメリカの州の研究者・被験者が実施した薬物共感覚実験や薬物幻覚実験(大麻セックス実験など)が、日本の学術界の中でのそれと比較対照できるわけがない(そもそもそのような研究・実験は日本では法的に不可能である)のは、自明である。

 それにしても、ゲートウェイドラッグ(他の強力な薬物への入口)としての大麻に手を出している日本人が集まりやすい怪しい場の一つとして、今や共感覚の世界は挙げざるを得ないと言える。彼らは、オランダ、ウルグアイ、バングラデシュ、一部のアメリカの州の若者が味わっている「薬物共感覚」をどうして日本では合法的に味わえないのか、という不満な本心を、いかにも正当で綺麗な「医療大麻」や「共感覚研究」などの語に置き換え、隠そうとしているわけで、そういった人物や団体はこの世界ではそこかしこに散見される。ここから先、様々な麻薬、覚醒剤、危険ドラッグ、指定薬物へと手を出していくおそれがあるわけである。

 私は、日本の研究者は日本の研究者らしい共感覚研究や薬物・植物学研究を確立すべきだと考えるが、高い確率でそうはならないだろう。

↓ 日本共感覚研究会のその他の報告書はこちら
http://iwasakijunichi.net/jssg/hokokusho.html
posted by 岩崎純一 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 最新の話題