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我々一人一人の人間に宿命づけられた生涯の仕事について(私に課せられた哲学的共同体・理想郷の追求)
(岩崎純一 at 04/28 21:29)
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目次
■序文
■各「岩崎純一さんの会」の栄枯盛衰
■喜びの背後にある孤独感との闘い
■永劫回帰する生への「運命愛」を共有できる共同体を目指して
■宗教化を自分で阻止する自制機構という知性の必要性


■序文

 今回書くことは、今年中に出ることになっている日本大学藝術学部の機関誌「日藝ライブラリー」の松原寛(日藝創設者・哲学者)特集や、畑中純(漫画家・版画家)についての評論集に詳しく書いたので、そちらをご覧いただければ嬉しいが、簡単に言えば、共同体論・理想郷論や総合芸術論・総合文化論をテーマとして書いている。
 ブログでは、もっと私自身に惹きつけて、概要を書いておきたい。

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宮沢賢治の「羅須地人協会」


■各「岩崎純一さんの会」の栄枯盛衰

 ここ最近は、我々一人一人の人間に宿命づけられた生涯の仕事というものがあるかどうかというテーマが、大変気になっている。もっと言えば、全身全霊、命を賭けてでも自分はこれをやりたいという仕事があるかということである。
 こう書くと、まるでいわゆる「社畜」としての男の仕事論・労働論のようだが、ここではそんな俗的で生ぬるいものではなく、ニーチェが言うところの「運命愛」的に愛し続けざるを得ないような、永劫回帰する生における自分の仕事(死ぬまで、いや、死んでも就業し続けたい仕事)のことである。人生の中に仕事があるのではなく、「我々人間にとっての最大の仕事は人生である」と言うときの、仕事のことであり、しかしながらその人の「力への意志」にしか務まらないような、唯一無二の仕事のことである。
 その一つが、私にとっては、おそらく「総合芸術的・精神的・哲学的共同体の追求(現実社会か芸術上かを問わず)」や「その背後にある普遍的構造の哲学的探究」なのだろうと考えている。最近切に思うのは、私は、今私が評論を書いている松原寛、畑中純、宮沢賢治といった哲学者や芸術家に私淑し、氏らの芸術精神や共同体理念、ひいては文化観・国家観を継承すべきなのだろう(継承したい)ということである。

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続 岩崎純一さんに会いたい会


 私自身にとって最も名称が衝撃的だった(最初は照れくさかったとも言える)「岩崎純一さんに会いたい会」が開催されたのは、2012年だった。これは、女子大生が大学の担当教授に掛け合って、大学の特別講座として開催された。この学生は、当初から「自分は自閉症的な強い感受性を持っていて、岩崎さんのサイト・文章・哲学に出会い、救われたので、会いたい会の開催を決意した」旨を送ってきた。そもそも、初回のメールを送ってくる前から、徹底して私の文章を読んでおり、初回のメールの時点で「会いたい会」の開催を決意していた。
 後日、この女子大生に影響されて私のサイトを片っ端から熟読した、大学や職場を休みがちな別の女子大生・OL、そして私に似た感覚・哲学世界を持つ息子さん・娘さんがいる主婦が、「続 岩崎純一さんに会いたい会」を作った。これも、「会いたい会」と同じように、大学でチラシが貼り出されたり配られたりした。ただし、学究的な客観性を持たせるために、学生が大学の授業に無理矢理ねじ込もうと担当教授に懇願したところ、担当教授が呆れ果てて取り合わなくなったため、二回目からは大学を離れて単独サークル化した。
 しかし、ここでもこれらの女性たちはそれぞれ、「私はとても感受性が強く、学校生活・職場での苦しみや社会情勢の悪化、事件や事故や天災のニュースの目撃によって、簡単に泣いたり、鬱状態に陥ったりするが、岩崎さんの文章・物事のとらえ方を読むと疲労が減るのであり、ありがとうの気持ちを言いたく思い、自分の手で会いたい会を続けたいと考えた
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