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『巫女神道探訪記 ― 日本的アニミズム感覚の源流を訪ねて ―』(13) ホトをめぐる秘儀と現代日本社会
(岩崎純一 at 07/30 15:04)
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ホトをめぐる秘儀と現代日本社会
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【リンク元】
岩崎純一のウェブサイト 特設サイト 「神道・仏教研究」 (http://iwasakijunichi.net/shinto-bukkyo/)
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神代の巫女 --- 2013年2月13日

 何はともあれ、耀姫様は、イスラム原理主義と同じような神道原理主義を唱えることは意図していないと宣言なさっている点だけ見ても、とりあえず現状では、安心して拝見していられる巫女神道の継承者ではあると思います。

 岩崎様がお持ちの、自然現象(地震、台風など)を察知できたり女性の身体現象を察知できたりする共感覚(対女性共感覚)についても、耀姫様の神道史観は参考になると思います。耀姫様も、合気道の達人でいらっしゃり、岩崎様と同じく男覡(おかんなぎ)と言える修験者の男衆の方々も間近で見ておられます。

 日本神話では(私たちの社家に伝わる神話でも)、「ホト(女陰)を箸で突いて死んだ」というパターンは定番ですが、耀姫様が巫女神道側からの見解をお示しになっています。ここは一つ、皇別巫女神道と神別巫女神道という区別を超えて、ホト(女陰、火陰、火戸、火門・・・)をめぐる伝説について考えてみたいです。

「日本神話で「ほと」を突いて死ぬ女が何人かいましたが、古代には本当にそんな死に方があったんですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1095321700

 耀姫様のご回答

「高句麗でも大和の地でも、隧穴を豊穣を司る大地母神(現在の豊受大神)のホトに見立てて、これを隧神の男性のシンボルを象徴する箸(丸い木の棒)で突く神事が行われていました。ところが時代が下ってくると、しだいに現代の新嘗祭に近い豊穣祭の姿に移り変わって行ったため、「ホトを箸で突く」のが、翌年の多産(五穀豊穣)を祈願して行う神事だったことが、分からなくなっていってしまったらしいのです。昔の皇室神道は、巫女が託宣することを中心とした、女性継承の巫女神道でした。ところが、中国の影響で男性上位の発想が生まれた結果、男性が神前で神を敬う所作を行う祭祀が中心の神道へと変化していき、かろうじて斎宮制度は残ったものの、他の巫女達は祭祀の中心から排除されていったのです。その過程で、ホトを突く神事の意味も見失われていったと思われます。」

「ホト(女陰)を箸で突いて死んだ」というのは、「ホトに(今の食事で使うような)箸が刺さって死んだ」のではなく、「ホト(に見立てた隧穴など)を箸(丸い木の棒)で突く、穀母神を祀って豊穣を祈る儀式で死んだ(と創作した)」ということですね。多くの日本人が間違えているのを目にしますが。


吉備の斎の巫女 --- 2013年2月16日

 私たちの社家でも、ホト(女性器)に見立てた隧穴・洞穴を祀る東盟祭に似た神事を継承しています。これには大まかに二種類あり、一つは隧穴・洞穴をホトに見立てた神事、もう一つは私たちのそれ自体を使用する神事です。後者の秘儀については、内掌典はもうまったく執り行っていないと思います。

 私たちの社家に伝わるホトの秘儀には、色々なものがありますが、例えば「百襲比賣命(ももそひめ)」にまつわるものがあります。この女神は、吉備津神社、吉備津彦神社、岡山神社でも祀られていますが、香川県東かがわ市の水主神社にも同じ伝承があるようです。
 伝承内容としては、
「モモソヒメは、ホトの形が異様で、毛も大変長かったため、親神が恥じて、モモソヒメを木舟に乗せて海に流した。何度も浜や島に流れ着いては、ホトの異様さを恐れた村民たちに舟を押されて沖へ戻され、やっと辿り着いたのが水主村であり、やがて祭神として祀られた。」
 というものです。

 私たちの秘儀も、こういった伝承にまつわるものになっています。私は、木舟には乗りませんが、それを模した儀式です。
 カグツチ(火産霊)を踏んでホトにやけどを負ったイザナミの尿から生まれたとされるミヅハノメについても、その陰毛や頭髪とされるものを「神毛」として桶や箱に入れて
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