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私の仮説「共感覚原帰属性仮説」
(岩崎純一 at 06/18 00:33)
 私が今のところ考えるに至っている「共感覚原帰属性仮説」は、以下の通りである。(半ば自分のメモとして書いたものでもある。)

「共感覚は、人間の幼児には必ず存在し、人間個体の発生と成長に伴って減衰する。減衰は、厳密には西洋的自我を発見した後の人間個体にのみ生じている。五感をつかさどる脳領域の観測上の分裂及び五感の知覚上の分裂は、その人間個体の母語が有する格機能の主格優勢性が認識させる。また、このことは、印欧語族とプラトニズムの折衷されたラテン語族において最初に自覚された。個体発生における系統発生の反復が、出生後の個体成長とその種の成体の経年変化に延長できるならば、同一人間個体の成長過程における共感覚の減衰は、西洋的自我発見以降の人類種における共感覚の減衰を反復する。このため、現行の自閉症・発達障害・アスペルガー症候群者は、すでに系統的に共感覚的知覚の保持者である。この共感覚の「持ちやすさ」は、鬱病や解離性障害などの一見後天的と思われる心的外傷の「受けやすさ」と同義であって、従って、およそ重度の鬱とは、脳機能それ自体として共感覚の発生機序に同一である。ここで、共感覚の産出源を脳に限らなければ、共感覚は、人間の原帰属性であるばかりか、全ての生物と自然物の原帰属性であり、また唯識論における阿頼耶識の原帰属性であって、近代西洋的デカルト的自我(自己意識)の変容を伴う精神症状である解離と分裂は、自然言語の格機能の系統遡及である。最古の共感覚における最初の他者は異性であり、最新の共感覚は五感の弁証法(アウフヘーベン)的統合である。現行の「共感覚」とは、後者を指している。このような葛藤を常識(コモン・センス)とする大衆社会は、全ての生物と自然物すなわち生物全体社会のうち、デカルト以降のキリスト教圏白人社会のみであり、日本においては厳密には戦後のみである」

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